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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月1日・山手線が環状運行になった。

大正15(1925)年の明日11月1日に国鉄(現在のJR東日本)の東北本線の秋葉原駅から神田駅の間の完成と東京駅から上野駅の高架複線化によって中央線の乗り入れが中止されて山手線が環状運行になりました。
野僧は大の自動車嫌いなので輸送幹部に職種転換させられるのを真剣に拒否していたのですが(人事部長から「管理隊長になれば警備小隊も指揮できる」と説得された)、船と飛行機、鉄道は乗るのも見るのも調べるのも大好きで普通は官用車を依頼するような近距離(例えば浜松⇔小牧、春日⇔芦屋)の出張でも鉄道=後払証を利用していました。
山手線は東京都港区の「品川」を起点として北区の「田端」までの路線ですが、環状化によって「東京」から「神田」「秋葉原」「御徒町」「上野」「鶯谷」「日暮里」「西日暮里」「田端」「駒込」「巣鴨」「大塚」「池袋」「目白」「高田馬場」「新大久保」「新宿」「代々木」「原宿」「渋谷」「恵比寿」「目黒」「五反田」「大崎」「品川」最近できた「高輪(ゲートウェイ)」「田町」「浜松町」「新橋」「有楽町」の30駅で1周して「東京」に戻ります。
日本の鉄道は明治5(1872)年10月14日に開通した東京の新橋駅と貿易港の横浜駅を結ぶ路線が始まりでした。その後は明治新政府が国家予算の大半を軍備拡張に注ぎ込んだため鉄道建設にまでは手が回らず、公家や大名の華族が資産を出し合って創設した民間企業の日本鉄道によって進められましたが、軍隊を全国に派遣する輸送手段として現在の新幹線が走っている路線を優先したため首都圏は後回しになっていたのです。
そんな中で日本鉄道はようやく首都圏に鉄道網を巡らす計画を立案しましたが、首都圏はすでに建設されていた東海道線、中央線、東北線、上越線などの起点駅が集中しているため各路線が複雑に重なり、各担当者(=出資者の配下)の縄張り意識に阻害されて既存の線路を利用した鉄道網の建設は前進しませんでした。そこで日本鉄道は人口が集中していて利用者数は期待できても用地買収には住居の立ち退きを伴う下町は避け、江戸でも郊外の山の手に建設することにしたのです。このため山手線の名称は「やまのてせん」と読むのが正しく、江戸っ子を自任する東京都民が常用する「やまてせん」は敗戦後に占領軍司令部=GHQが駅名の看板にローマ字を併記することを命じた時に提出した書類の路線名で「YAMA」と「TE」の間に「NO」を入れ忘れたため生じた間違いです。
それでも明治39(1906)年に日本鉄道が国有化されると各路線の相互利用・統合運用が実現し、山手線の建設によって駅前を中心に都市部が拡大したことを受けて首都圏から放射線状に建設された私鉄の駅を結んで人と物資を中心部に運ぶ鉄道網としての機能を発揮するようになり、出発駅と終点駅の往復よりも利便性が高い環状運行の実現が期待されるようになりました。こうして環状運行に必要な欠落した箇所を結ぶ形で建設が進み、この日に完成したのです。
ちなみに環状運行している地下鉄や市電は札幌、富山、名古屋、松山など全国各地に在りますが鉄道は19駅で一周する国鉄(現・JR西日本)の大阪環状線だけで、こちらの開通は昭和36(1961)年4月25日です。
  1. 2021/10/31(日) 15:00:00|
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