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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2453

結局、梢の計画通りに夏季休暇は沖縄へ行き、首里の安里家で淳之介、あかり、恵祥、いりえ一家と対面した。子供たちへのお土産は梢とヨーロッパ各地を小旅行しながら買い集めた玩具を雲島に送っておいたので今日は絵本と写真集だ。すると小学生になって字が読めることを披露するつもりだった恵祥が横文字が読めずに落胆したので梢の即席講座が始まった。それでも義父母と一緒に空港で買ってきた焼き菓子の詰め合わせを開けると大喜びした。ただし、ヨーロッパ製の焼き菓子は香りが強く、嗅覚が鋭いあかりは少し苦手なようだった。
「お前も正式に船長になったなら階級章を4本線にしなきゃいかんな。そのうち志織に追いつかれるぞ」「これは海上自衛隊の階級章でしょう。4本だと1佐でお父さんよりも上じゃない」翌日の松栄さんの初盆に淳之介は離島航路の連絡船に単独で乗務するようになった時に贈った海上自衛隊の白の3種夏服で出席した。淳之介の制服姿は結婚式以来だが、潮焼けしてウミンチュウ=海の男としての風格が増しているので2等航海士のつもりで選んだ2本線の1尉の階級章では物足りない。ここは船長の4本線に格上げしたいものだ。
「お前はワシを超えてるから1佐で良いじゃあないか」「それは無理無理。お父さんを超えたら人間じゃあなくなっちゃうよ」淳之介の返事に私が管長猊下から允可を受けていることを知っている梢は真顔でうなずいたが、義父・安里恵倫さんを含む他の出席者は「常軌を逸した変わり者」と言う意味と理解して苦笑した。確かに間違いではない。
「淳之介が1佐じゃあ曹長の俺よりも上になっちまうじゃあないですか。それに2等陸佐では1等海佐の階級章は売ってもらえないでしょう」今日も喪主を勤める松真が痛いところを突いてくると梢が絶妙な助け船を出港させた。
「大丈夫、オランダの港町で探せば見つかるわ。送るから使うのよ」「この際、袖に4本線が入った冬制服も買ってやりたいが」「年中夏服の八重山じゃあ恵祥の入学式もこれで行ったから要らないよ」淳之介とは昨晩も安里家で飲んだが、久しぶりの対面なので話が弾むと止まらなくなってしまう。案の定、仕切り屋の夕紀子が視線で時間を確認させた。
「チーン、願我身淨如香炉(がんがーしんじょうにょうこうろー)、チーン・・・」浄土宗の法要は香で身心と場を浄める「香偈」から始まる。私は浄土宗どころか得度を受けた曹洞宗でも本山などの正式な修行は経験していないが、陸上幕僚監部法務官室で勤務していた頃に官舎の近くの浄土宗の寺で坊主の真似ごとに励んでいたので檀家宅での法事くらいは勤められる。むしろ号令で鍛えた声が通るので「西方浄土まで聞こえそうだ」と評判は良かった。
「奉請十方如来入道場散華楽(ほうせいしほうじょうらいじとうちょうさんからく)・・・」続いて阿弥陀如来以下をお招きする「四奉請」だ。阿弥陀如来だけを唯一絶対とする浄土真宗では釋迦如来や観音・勢至ほかの諸菩薩も招くこの偈文は勤めないようだが、法然上人は比叡山で慣れ親しんだこの偈文を踏襲している。詠みも他の浄土宗の経典の「呉音(ごいん)」ではなく比叡山が用いている「漢音(かんいん)」だ。
「父母恩重経」通常、多くの檀家を走り回るお盆のお経は極力短くするものだが、私は玉城家一軒なので浄土宗では勤めない長い「父母恩重経」を選んだ。「父母恩重経」は佛教と言うよりも儒教の教えで、本来は佛よりも祖先を崇拝している沖縄では「子供を生み育てる父母の自己犠牲に子供は報恩の誠を尽くさなければならない」と説く内容は最も相応しいと考えた。すると前もって配っておいた経文を読みながら聞いていた玉城家の面々は揃って鼻をすすり始めた。
「モリヤは自衛隊の制服よりも坊さんの格好の方が似合うさァ」「と言われると着替えにくいな」阿弥陀如来一行を送り出して法要が終わり、宴席に移る前に私が茶灰色の70式第3種夏服に着替えようと立ち上がると日出子が余計なことを言った。同じ念佛門でも浄土宗には阿弥陀如来が救い易いようにと身を正すケジメがあり、殊更に自力を否定する門徒の坊主と一線を画すためにも法衣での飲酒は避けなければならないのだ。
「違う、モリヤ2佐は陸上自衛隊の制服が似合わないだよ」思いがけず松真が意見を代弁したので私の着替えを手伝おうと一緒に立ち上がった梢も「そうよ」と相槌を打った。
「定年が近づいてくると自衛官としての原点の航空が懐かしくなってきたのは確かだな。色が白くなって野性味が失われているからエア・フォース・ブルーの方が似合うのかも知れん」「大体、その制服は昔のじゃない。服装違反でしょう」「ワシはどちちかと言えば航空の前の灰色の夏服が一番好きだな」隣りの部屋で法衣を脱ぎ、手早く3種夏服に着替えながら襖越しに松真と会話を続けると横から梢が意表を突いた提案をした。
「松真さんと同じスマートな夏制服も似合うわよ。那覇基地の売店で買って帰ろう」これは危ない誘惑だ。日本国内では身分詐称の軽犯罪法違反だがオランダでは私服と変わらないのだ。
  1. 2021/11/06(土) 14:44:36|
  2. 夜の連続小説8
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