野僧が第1術科学校に入校中の昭和57(1982)年の明日11月14日の浜松基地航空祭で展示飛行中のT-2ブルー・インパルスの4番機=174号機が7万人の観衆の前で墜落しました。これは元ブルー・インパルスのパイロットの兄貴分から聞いた裏話です。
この日の展示飛行はFー86Fでブルー・インパルスが創設された浜松基地で機種転換によって松島基地に移動していたTー2のブルー・インパルスが錦を飾る晴れ舞台であり、創設者を自認していた源田実元航空幕僚長も招待ではなく自ら申し入れて出席していました。
そうして始まった展示飛行は1番機が編隊長の塚原3佐(37歳)、2番機が田口1尉(33歳)、3番機が森橋1尉(33歳)、4番機が高嶋潔1尉(30歳=この日が展示飛行のデビューだった)、5番機が下川1尉(34歳)、6番機が田中1尉(32歳)の6機編隊で13時10分に5機が編隊を組んだまま離陸してアフター・バーナーを焚いて火焔を曳く演出で上昇していきました。
この日予定されていた演技は21項目で快晴の秋空にスモークを引きながら高速度で視界を通過する機体にFー86Fの職人技を見慣れている観衆も歓声を上げていたのですが、13時43分4秒に始まった16番目の演技の下向き空中開花で4番機が13時43分23秒に基地の北側にあるホンダ自動車の社員と製品の駐車場に墜落して爆発・炎上し、墜落地点から北東へ幅200メートル、長さ500メートルに破片が飛び散り、重軽症者13人、全焼家屋1戸、破損した建物28戸、駐車場に置いてあった車両492台などが被害を受けました。しかし、この場所に墜落しなければ日曜日で交通量が増えていた東名高速道路や多くの住民が在宅している密集した住宅地に甚大な被害が及んだことは間違いなく、高嶋1尉は自らこの場所を選んで突っ込んで逝ったと信じられています。
下向き空中開花では6機が三角形=デルタ編隊を作って上昇し、頂点を過ぎて下降を始めた時に編隊長が「レディ、ナウ」と号令をかけてスモークを引きながら2と3番機は左右に30度、5と6番機は左右のやや後方に135度の旋回をしますが、4番機だけは180度反転するため塚原3佐の号令が3秒遅れたことで旋回後の引き起こしが間に合わずに墜落したと言われ、塚原3佐はこの日が初めての編隊長としての展示飛行で、初の防衛大学校出身の編隊長として華々しくデビューさせるために強行したとも言われています。
この日、高嶋1尉の奥さんは夫がデビューすることを知らずに松島基地の官舎にいて(アナウンス係だと思っていた)、テニス・サークルの試合を終えて休憩室のテレビの速報で事故を知って急いで家に帰ると制服に白手袋をはめた第4航空団司令部の幹部自衛官と第21飛行隊長の妻が待っていたのです(隊長本人は浜松基地に行っていた)。
北基地=現在の北地区には創設以来の殉職隊員の慰霊碑があり、ここで異常現象が起こると事故が起きると言う的中率100パーセントの伝承があるのですが(野僧が基地司令の命令で勤経した3回は除く)、この日は航空祭のため日の出前に出勤した隊員たちが石碑の周りを青い火の玉が飛んでいるのを目撃したため飛行教育集団司令官に報告し、江戸力司令官自ら慰霊碑に拜礼したのですが功徳は及ばなかったようです。




走ってくるのは森野曹侯生
- 2021/11/13(土) 14:35:38|
- 自衛隊史
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