1916年の11月14日にアメリカのO・ヘンリーさんと並ぶ短編の名手と賞されるイギリスの作家・サキ=本名・ヘクター・ヒュー・マンローさんが第1次世界大戦で戦死しました。サキと言うペンネームは11世紀のペルシャの詩人・ウマル・ハイヤールさんの「ルバイヤート」に登場する給仕の名前とされる一方で南アフリカに生息する猿の種類名とする説もあります。
サキさんは1870年にインド警察に所属してミャンマーで勤務していたイギリス人夫婦の3人兄姉弟の2男として生まれました。2歳の時、母が妊娠して兄姉と共にイギリス本国の父方の祖母と叔母2人が住む家に移り住みましたが、母が牛に角で突かれて流産・死亡したためそのまま祖母に引き取られました。そうして祖母の家で育てられ近傍の寄宿制男子校を卒業すると退職して帰国した父とヨーロッパ各地を旅して回りました。
1893年に父と同じくインド警察に就職してミャンマーに赴任しますが、2年後にマラリアに罹患したため退職して帰国するとロンドンに拠点を置くリベラル派(穏健融和派・日本で用いている「反体制」は誤訳)の新聞・ウェストミンスター・ガゼットや大衆紙のデイリー・エクスプレス、日刊紙のモーニング・ポストに記事を寄稿するジャーナリストになりました。1900年に18世紀の歴史家・エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を模した「ロシア帝国衰亡史」を出版して知名度を上げると1902年から1908年までモーニング・ポストの特派員としてバルカン、ワルシャワ、ロシア、パリに赴任した一方で短編小説を執筆・発表するようになり、帰国後は大量生産を始めました。
サキさんの小説はO・ヘンリーさんの作品が貧しい庶民の情愛や高い立場に上りながら息詰まりを感じている人物が素顔を見せることで救われる人情噺なのに対して「アッ」と驚くような結末が待ち受ける緻密な構成で人間を貴族的に冷笑するブラック・ユーモアで、残酷な描写や怪奇作品、超自然的作品も多いようです。
野僧は高校時代に代表作の「開いた窓」「平和的玩具」「話し上手」「スデドニ・ヴァシュタル」の日本語版を読んだだけですが(O・ヘンリーの英語版を持っていた亡き妻も「殊更に人間の嫌な面を晒しているようで好きじゃない」と高校の図書室で読んだだけで購入していませんでした)、「平和的玩具」は「子供には武器など戦争の道具の玩具は有害、平和的な玩具を与えるべきだ」と言う新聞の記事を読んだ母親が戦争ごっこ好きの10歳と9歳の息子たちに与えた平和的な玩具は「街のゴミ箱」「衛生的なパン工場で焼いた衛生的なパン」などと学者や地方議員、郵便切手を考え出したロウランド・ヒルの動かして遊ぶ人形で子供たちはこれを使って戦争ごっこを始めると言う平成になって急速に増殖した市民運動の女性たちに冷水を浴びせるような痛烈な皮肉です。
そんなサキさんは第1次世界大戦が始まると43歳になっていて兵役は対象外だったにも関わらず陸軍に志願して伍長で分隊長になりましたが、フランス戦線の壕の中で高く煙を立ち上らせながら煙草を吸う兵士に「敵に発見される。煙草を消せ」と声をかけた直後にドイツ軍の狙撃兵が射った銃弾が頭部に命中して死亡したのです。
- 2021/11/14(日) 15:07:31|
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