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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

小説の舞台になった土地に虚構を訂正する責任はないのか?

共産党中国の細菌兵器が小休止している中で秋の観光シーズンを迎えた下関市では相も変わらぬ茶番劇で客寄せをやっています。
下関市と言えば幕末のテロリストたちを組織化した奇兵隊を率いて藩主への迷惑や重臣の決定を無視して内乱を起こして藩政の主導権を奪取すると関門海峡を渡って小倉に侵攻して城下町で武士と庶民を無差別に殺害し、商家での略奪と放火や破壊、婦女子の輪姦などを指揮した高杉晋作(敬称不要)が一番の売り物ですが、関門海峡に浮かぶ船島(江戸時代までは小倉藩領だったが現在は山口県下関市になっている)で対戦したと言われる佐々木厳流さんと宮本武蔵さんも根強い人気を保っているようです。
その茶番劇に登場する佐々木さんは大衆作家の吉川英治さんが戦前の昭和10(1935)年から14(1939)年に朝日新聞に連載して絶大な人気を獲得した小説「宮本武蔵」の中で創作=捏造し、戦後に映画化された時、佐々木さんを演じた高倉健さん(福岡県中間市出身)の扮装そのままに頭は稚児髷で白い着物に派手な袴と赤い陣羽織を着ていて宮本さんも中村錦之助(後の萬屋錦之助)さんの模倣です。
小説「宮本武蔵」は本人が語った真偽不明の回想を元に晩年の門弟たちがまとめた「二天記」以外に資料がない宮本さんを主人公にしているだけに極めて虚構が多く、脇役の沢庵和尚からの薫陶や多くの武芸者たちとの対決の大半は史実ではありません。ところが吉川さんが昭和35(1960)年に文化勲章を受章すると軽い読物だった大衆小説が権威ある文学作品になってしまい虚構が史実のように扱われるようになりました。
中でも山口県は戊辰戦争によって国家権力を握った薩長土肥が自分たちの討幕を正当化するために実際は極めて優れていた幕府の外交交渉を完全に否定しただけでなく幕臣だけでなく西洋事情に通じていた学者や外国人の暗殺テロを繰り返し、尊皇攘夷を唱えながら西洋式の兵器と軍制を導入して反乱の準備を整えると公武合体による挙国一致を願う孝明天皇を暗殺した陰謀・犯罪を隠蔽した虚偽・捏造の歴史を学校教育で徹底した首謀者だけに歴史が事実であるかには興味がなく、自分に利用価値があるかだけが問題なのです。
下関市の観光キャンパーン実行委員会では近年、幕末史に対する見直しが進んで高杉や奇兵隊では観光客が呼べなくなったためもう1つの宣伝材料の吉川さんの虚構作品を全面に押し出すようになっています。
しかし、実際の佐々木さんは当時としては熟年の38歳で小倉藩主・細川家の剣術指南役だったので吉川さんが書いているように仕官先を探すために目立つ扮装で闊歩する必要はなく、むしろ珍奇な派手な扮装では藩主に恥をかかすことになるため江戸時代の浮世絵などでも紋入りの黒の着物と袴姿で鉢巻を締め、袖を襷でまとめた通常の武芸者としての正装で描かれています。そもそもこの対戦は技を披露することが目的(殺害する必要はない)だったので宮本さんが「下関市から遅れて船島に向かった」と言うこと自体が吉川さんの虚構です。岩国市も小説「宮本武蔵」の中で佐々木さんの出身地になっていることを観光に利用していますから山口県の風土病なのかも知れません(実際は福井か大分)。
  1. 2021/11/20(土) 15:37:57|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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