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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月22日・反省する韓国人・金泳三大統領の命日

2015年の明日11月22日は日本の保守派からは「反日」と批判されていても、野僧は個人的に「恨」の民族性で絶対に反省をしない韓国人にしては珍しく率直に自分の落ち度を認める発言をすることに好感を持っていた金泳三大統領の命日です。
金泳三大統領は日本の統治下だった1927年に距離的には日本に最も近い巨済島の当時として珍しかったプロテスタントの家で生まれました。ソウル大学を卒業後に李承晩政権の国務総理の秘書官になったのを切っ掛けに1954年の国会議員選挙に与党の自由党から出馬して当選して政界に入りました。しかし、自由党が憲法改定問題で分裂したため野党に加わることになり、1961年の5・16クーデターによって成立した朴正煕政権では金大中後の大統領と共に野党・民主派の代表的政治家として敵視され、傷害事件や議員除名処分、さらに自宅軟禁されるなどの弾圧を受けました。
1985年に国民の低支持率に悩む全斗煥政権によって政治活動が解禁されると1987年に行われた大統領選挙に出馬しますが、金大中氏も立候補したため民主派の票が2分されて陸軍士官学校出身のエリート軍人組織・ハナフェの一員だった盧泰愚予備役大将に敗北しました。すると盧泰愚大統領が野党の金泳三氏と金鍾泌氏に合併による巨大与党の結成を呼びかけ、これに応じたため保守的な国民の支持を得たものの若者を中心とする民主派の反発を買いましたが、1992年に盧泰愚大統領の後任として巨大与党から出馬して朴正煕政権以来32年ぶりの民間人出身の大統領になったのです。
大統領になってからは手始めにハナフェを潰して会員の高級将校たちを退役に追い込み、安全保障に関連する閣僚に大学教授を登用し、高級官僚の不正追及によって大法院院長(日本の最高裁判所長官)や検事総長、警察庁長官を退任させるなど朴政権以来の軍人色を消すことで国民の支持を集めようとしました。さらに政界と財界の癒着を断つため「在任中はいかなる献金も受け取らない」と宣言し、実行に移したのです。
そんな金大統領の国家指導者としての矜持は1996年9月18日に座礁した北朝鮮の潜水艇が発見された江陵湾事件で、潜入した工作員を北朝鮮に逃げのびた2名以外を捕獲・射殺する実戦を指揮したことで如何なく発揮されました。
そんな金泳三大統領の反省語録としては20歳代だった次男が政治に口を出して小統領と呼ばれ、政権末期の1997年に斡旋収賄罪で逮捕されると「何で大統領になってしまったのか」と父親として後悔の念を口にしたそうです。また北朝鮮の核開発にクリントン政権が在日米空軍機による1992年7月14日の空爆作戦を決定すると情報を中国に漏らして阻止したことを「生涯最大の誤りだった」と亡くなるまで公に後悔していました。さらに釜山市の民主派弁護士だった盧武鉉後の大統領を政界に引き入れたことも就任後に金大中政権の亡国政策を継承するのを見て「失敗だった」と大いに反省していたそうです。
日本のマスコミは金大中大統領を「親日」、金泳三大統領を「反日」と報じていましたが実際は金大中大統領の方が批判的で、金泳三大統領は「韓国では反日を口にしないと政治家になれない」と語っていたように立場を理解した上での確信犯だったようです。
  1. 2021/11/21(日) 15:55:31|
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