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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月13日・幻のノーベル賞・鈴木梅太郎博士の命日

昭和18(1943)年の明日12月13日はビタミンの存在を推定したに過ぎないオランダのクリスティアーン・エイクマン博士が1929年にノーベル生理学賞を受賞した同時期にオリザニン=ビタミンの発見と抽出に成功した鈴木梅太郎博士の命日です。余談ながら鈴木梅太郎博士は理化学研究所の同僚の物理学者・長岡半太郎博士と本多光太郎先輩=博士と共に「理研の3太郎」と呼ばれていました。
鈴木博士は明治7(1874)年に現在の静岡県牧之原市で農家の次男として生まれました。地元の学校と私塾で学んだ後、明治21(1888)年に上京して神田の日本英学館と東京農林学校予備校を経て明治22(1889)年に東京農林学校に入学しますが、翌年に東京帝国大学農科大学に改称され、明治29(1896)年に東京帝国大学農芸化学科を首席で卒業して大学院に進みました。そうして明治33(1900)年には東京帝国大学の助教授になり、翌年に博士号を受けています。
明治34(1901)年からドイツのベルリン大学へ留学し、蛋白質やアミノ酸を研究する中で蛋白質が種類によって栄養価が違うことを発見し、「日本人が西洋人よりも体格が劣るのは米中心の和食が肉類を多く摂る洋食よりも栄養価が低いからではないか」との仮説を立て、これが終生の研究テーマになりました。
明治39(1906)年に帰国すると盛岡高等農学校(宮沢賢治さんの母校=大正4年入学)と東京帝国大学農科の教授を兼務し、翌年に東京帝国大学専任になります。この頃、ネズミや鳩に白米と肉の配合量が違う餌を与える実験を始めましたが、次々に人間の脚気のような症状で死んでしまうためエイクマン博士の「鶏の脚気には米糠が有効=これがビタミンの存在の仮説とされた」とする研究報告書の通りに米糠を与えると回復したことで未知なる有用成分が存在することを確認したのです。それからは米糠に含まれている栄養素を抽出する実験を繰り返し、明治43(1910)年から次々に化学学界で栄養素をオリザニン(米の学術名・オリザ・サティパから命名した)とする研究論文を発表しますが、医学界は「百姓上がりの化学者が病気の治療法に口を出すな」と拒絶し、将兵の脚気に悩んでいた陸軍も「白米が原因」とは認めず、明治45(1912)年にオリザニンの抽出に成功したことでさえ黙殺されたのです。さらに鈴木博士は日本文の研究論文をドイツに送ってヨーロッパの化学学界でも発表しますが、翻訳時に「新発見の物質」と言う記述が抜けたためアジア人を蔑視している科学者たちの注目を集めることができず、オリザニンの発見の1年後にポーランドの医学者・カシミール・フンク博士が米糠から脚気の有用成分を抽出してビタミン(生命活動に必須のアミン=水素化合物の意)と名づけたことが画期的新発見として賞賛されたのです。
結局、鈴木博士は前年の長岡博士と本多先輩に続き昭和13(1938)年11月10日に第2回文化勲章を受章しますが、実は本多先輩も昭和7(1932)年にノーベル賞候補になりながら似たような理由で受章できず、政府が文化勲章を制定したのは海外で評価されない日本人の偉大な業績を国家として顕彰することが目的だったのかも知れません。
  1. 2021/12/11(土) 14:53:25|
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