「続いて検察側証人だ・・・現世の裁判も中々面白いな」美恵子は裸の背中に今まで経験したことがない心地好い温もりを感じて目を閉じて恍惚の気分を味わっていたが、やがてそれが消え目を開けると千手観音が放っていた光は消え、傍らに立っていた巨大な足もなくなっていた。すると正面の閻魔王が声をかけてきた。その口調は妙に軽く唇が少し緩んでいる。
「美恵子、大丈夫か」「身体を捨ててここへ来れば病気の苦しみからは解放されただろう」暗闇から2人の男性が歩み寄ってきた。閻魔王の前の灯りに照らし出されたのは父の松栄と伯父の松泉で、2人とも白の死に装束を着て素足に藁で編んだ雪駄を履いている。
「オトウ・・・いつ死んだねェ」「去年の2月3日だよ」美恵子の驚いたような声に松栄は困ったような顔で答えた。松栄が癌で死んだ時、美恵子には連絡がつかず、死んで再会した「父も亡くなっている」と推理するのは容易でも心の準備ができていなかった。
「お前たちは安里淳之介に頼まれていることがあるんだろう」「ですが検察側と言うのには納得できません」「それはワシが現世の裁判に合わせてみただけだ」先ず松泉が閻魔王に確認した。やはり元鉄血勤皇隊の戦士で玉城家モンチュウの長は死後も泰然自若として閻魔王に対しても臆することがない。そこが沖縄式祖先崇拝の強みでもある。しかし、オランダでモリヤが立てた法廷戦術に乗ることにした閻魔王は肩の力が抜けてしまっているのかも知れない。
「お前は矢田と千手観音さまのお話を聞いてどう思った」「やっぱり私は馬鹿だったさァ。あんなに優しい旦那さんのことを大切にしなかったなんて勿体なかったよ」父の質問に対する美恵子の答えはどこか外れている。それでもアポロ11号で月面に降り立った二―ル・アームストロング船長の「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな躍進だ」と言う名言を引用したくなるほどの前進だった。
「矢田だけじゃあなくてお前の両親や姉弟、何よりもモリヤさんの優しさを理解せずに裏切ってきたことを心から反省して閻魔王に懺悔しなければいかん」「何で伯父さんがここにいるねェ。伯父さんは人殺しだから地獄へ堕ちたはずさァ」折角、松泉が救われるための1歩に誘(いざな)っても美恵子は逆の反応をした。松泉は困ったように振り返って閻魔王と顔を見合わせ、松栄は哀しそうな目で美恵子を見詰めた。
「玉城美恵子、現世では個人情報の保護で非公開になっているらしいが、特別に見せたやりたい映像がある。淨玻璃鏡の前へ連れて行け」「はい」閻魔王の指示に獄卒の鬼が返事をして美恵子を立たせると脇に置いてある淨玻璃鏡の前へ移動させ、松泉と松栄も後に続いた。
「これは・・・」淨玻璃鏡には火焔に焼かれ、煮えたぎる大釜で茹でられ、刃に裂かれて悶え苦しむ亡者たちの姿が映し出されている。流石の美恵子も恐怖に固まって質問する言葉が出てこなかった。すると背後の鬼が感情を交えずに説明を始めた。
「これは八熱地獄だ。地獄には八熱地獄と八寒地獄に多くの小地獄がある。八熱地獄には殺生の罪を犯した等活地獄、殺生と偸盗の黒縄地獄、殺生と偸盗・邪淫の衆合地獄、殺生・偸盗・邪淫・飲酒の叫喚地獄、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語の大叫喚地獄、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見(誤った考え方)の焦熱地獄、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒者(尼僧を強姦する)の大焦熱地獄、そしてこれらに阿羅漢(佛教聖者)や父母の殺害を加える阿鼻=無間地獄がある。一方、八寒地獄にはアブタ地獄、ニラブタ地獄、アタタ地獄、カカバ地獄、ココバ地獄、ウバラ地獄、ハドマ地獄、マカハドマ地獄があるがこれらの名称は寒さだ唇と舌が凍りついて言葉にならないことを表している」ここまで説明した鬼は焦熱の情景が映った淨玻璃鏡を指差した。焦熱地獄では鬼が燃え盛る火焔の中に亡者を突き落とし、火焔で焙った鉄板の上に押しつけ、待ち時間には赤く熱した鉄の棒で滅多打ちにしている。美恵子が鬼の示した位置を注視するとそこには見覚えがある人物が鉄板に押しつけられていた。身体か焦げて煙を発し、全身を反らして悶え苦しんでいるが鬼は鉄の棒で背中を押さえつけている。
「これは知事さんじゃないね」美恵子の呟きに鬼は無表情にうなずいた。それは時事問題に関心がない美恵子でも新聞やテレビで見覚えがある沖縄県知事だった。その知事は沖縄戦では松泉と同じ鉄血勤皇隊でも通信員として司令部壕内で勤務しながら琉球大学の教授として歪曲した前線での戦闘の惨状を学生に吹聴し、沖縄県教職員組合やマスコミなどの社会的エリートの反日反米親中の政治主張を作り上げた。
「この亡者は政治的意図で虚偽の史実を沖縄県民に植えつけた邪見と妄語の罪で焦熱地獄に落ちた。探せば他にも生前は反戦平和を口にしながら国のために命を捧げた武人たちを誹謗した有名人たちが罰を受けているぞ」「伯父さん、ごめんなさい」また美恵子は床に額をつけた、松泉も広げた手を置いたが、それでも姪の裸の背中に触れるのには一瞬ためらった。
- 2021/12/22(水) 14:05:07|
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