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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2501

「君には会って詫びなきゃいけないと思っていたんだが、それが今日になってしまって・・・」香川県出身の矢田の宗旨はやはり真言宗のようで美恵子の遺影に向かって経本を見ながら不思議な経を唱えていたが、それを終えると喪主席に座っている淳之介に両手をついて額が畳につくまで頭を下げた。淳之介も初対面の元義父に合わせた。
「いいえ、矢田さんが玉城美恵子、母を愛していたことが聞けて俺も安心しました」淳之介が返し口上を述べているところに夕紀子が茶を淹れてきた。矢田も美恵子の夫として沖縄へ赴任してからはウチナー正月やシーミー祭に呼ばれていたので玉城家の家族とは面識がある。しかし、自慢の夫だったモリヤから美恵子を奪った矢田に対する家族の拒絶は厳しく、中でもモリヤを尊敬していた義弟の松真は帰省して会っても挨拶さえしなかった。一方、淳之介は沖縄に来て玉城家で暮らすようになると叔母や叔父から「美恵子は玩具にされて捨てられた」と聞かされたが、息子の目から見て玩具にしたくなるような魅力があるとは思えなかった。
「小隊長は自分のことを憎んでいると思っていたんだが、数年前に那覇駐屯地で再会した時には全くそんなことは感じさせないで、それどころか俺の人事上の処置を撤回するように隊長に言ってくれた。おかげで今では1曹だ」「父は俺が中学生になった頃、『母と結婚したことが間違いだった』ってハッキリ言いました。俺は沖縄時代に心の底から愛し合っていた女性に産ませなければいけなかったって。でも今はオランダでその女性と一緒に暮らしていますよ」「アンタの嫁のお母さんじゃない」淳之介の思わせぶりな説明に後ろから勝子が補足説明を加えたが、かえって矢田は困惑した顔になった。
「小隊長は善通寺駐屯地でも評判の愛妻家で、部隊では始めは『髪結いの亭主で贅沢してる』って言われていたけど、美恵子さんが好きで働いていることが判ると今度は『尻に敷かれてる』って馬鹿にされたんだ。それでも小隊長は平気だったよ」矢田の意外な裏話で玉城家の女性たちは美恵子がモリヤにかけていた迷惑が無断で就職したことと不倫だけではないと判り、美恵子の遺影を睨みつけた。父の松栄が生きていれば深く反省して落ち込んでしまうところだ。
「それは使命感です。父は使命感に火が点くと自分がなくっちゃうんです」「それじゃあ今のお母さんとは。次はウチの旅団長だって噂になってるけど」モリヤ佳織将補はWACで唯一の中々美人と評判な将官なので部内の機関紙などで紹介されると隊員たちは期待を込めて人事予定を決めているらしい。そろそろ移動の時期になったモリヤ将補の次の任地は全国の将補の配置先で勝手に人事発令されているのではないか。
「母とは戦友愛です。母との暮らしは自衛隊そのものでした」「小隊長は根っからの自衛官だからそれも幸せなんだろうな」「やっぱり床屋とは合わなかったのさァ」矢田の評価に日出子と由紀子は小声でささやき合った。確かにモリヤは美恵子が職業人として研究に励んでいた髪型や服装には全く関心がなく、これも使命感で突き合っていただけだった。モリヤにとって美恵子の理容師と言う職業は迷惑以外の何物でもなかった。
「それにしても小隊長はどうして今一緒に暮らしている女性と結婚しなかったのかな。モリヤ将補と離婚していないなら不倫じゃあないか。そこまで気持ちが変わらないなら結婚するべきだろう。ごめん、息子の前で拙いことを言ってしまったな」「大丈夫です。オランダに赴任する父に義母を連れていくように言ったのは僕と嫁ですから。義母の荷物を無断でオランダに送って手配した航空券を持って出発の前の日に3人で東京へ押しかけて義母を置いて帰ったんです」「美恵子以上の押しかけ女房さァ」日出子と夕紀子はこの顛末は聞いているが松栄がいつもモリヤに美恵子との復縁を頼んで押しつけたことを悔やんでいたのに比べても大胆かつ強引で、かえって痛快に感じて羨ましくなる。
「父は親から自分の意志を持つことを禁じられて育ったから自分がないんです。父が言っていることはモリヤニンジンと言う人間ではなく僕と妹の父親、母の夫、陸上自衛隊の幹部自衛官、国際刑事裁判所の検察官としての立場からの意見しかありません。ところが義母は父の気持ちと一体化して全てに共感してくれる女性なので人生の掛け替えのない伴侶でした。でも親が許さなかった」「どうして」「祖父の兄が『沖縄は植民地だから原住民と子供を作ればモリヤ家の血が汚れる』って反対して祖父も服従したんです。義母は悩み苦しむ父が死を考え始めたのを察して身を引いてしまった。そこに現れて押しかけたのが玉城美恵子でした」淳之介はあかりから聞いている父と義母の逸話を正直に語ったが、父の伯父の沖縄を冒涜する発言には周囲のシマンチュウたちは不快感を露わにして拳を握った。
「矢田さん、よろしければどうぞ」淳之介と矢田の話に区切りがついたところで勝子がまだ手をつけていなかった自分の仕出し弁当の包装を整えて声をかけた。
  1. 2021/12/23(木) 14:53:23|
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