朝鮮戦争が開戦する半年前の1949年の12月24日に韓国の日本海(韓国では東海)側南部の慶尚北道の聞慶郡(現在は聞慶市)山北面で朝鮮労働党の工作員や協力者を捜索していた南朝鮮国防警備隊=後の韓国陸軍の第2師団第25連隊第7中隊の第2小隊と第3小隊が集落にいた老人や女性と子供を含む非武装・無抵抗の住民に発砲して88人を殺害する事件が起きました。
この事件も第2次世界大戦末期に日本の朝鮮総督府や軍が本土へ撤退を始めた混乱に乗じてソ連が送り込んだ政治工作員が「金日成書記長を頂く北朝鮮労働党の下での朝鮮民族による統一国家の樹立」を喧伝して韓国全土で賛同者を集めていたことに危機感を抱いた李承晩政権や南朝鮮国防警備隊の上層部が戦時には軍事情報を通報し、破壊活動を行う惧れがある協力者を捜索・摘発した(いわゆる)共匪狩りの1つですが、韓国の近年の文民政権は李承晩政権と朴正煕政権から盧泰愚政権までの軍人政権の悪事を告発することを反日と並ぶ支持率獲得の手段にしているので日本が信託統治下で行った近代化の諸施策や国土建設と農業振興などは無視して全てが植民地としての搾取と略奪だったと否定する虚偽の歴史を国民に教育しているのと同様に決して史実とは言えない歪曲と誇大の発表の可能性も否定できません。しかし、他の住民虐殺事件では市民の反政府デモの武力鎮圧であれば暴動が通常の手段では制御できないほど過激化したなどの武器の使用を正当化する説明を加えて市民殺害の断罪を過剰行為への批判に置き換え、戦時下の住民虐殺であれば朝鮮労働党の宣撫工作が完全に浸透していて識別不能状態に陥っていた上、抵抗の動きを見せたなどの正否不明の理由を弄して「戦時下」と言う特殊事情で逃げようとします。ところがこの事件では「朝鮮労働党の工作員=共匪が住民を虐殺した」と公式発表していて最近まで学校で史実として教育していたのです。
これに対して自国を誹謗・非難することに熱意を注ぐことで金大中政権が始めた反国家=親北朝鮮の教育を受けてきた売国的若年層と文化人の支持を受けていた盧武鉉政権が2005年に成立させた「(北朝鮮との)真実和解のための過去史整理基本法」に基づく整理委員会が2007年に「韓国政府=李承晩政権の犯行」とする調査結果を発表すると2008年7月10日に59年と半年前の事件の遺族が「韓国政府が事実を隠蔽し、真相究明を求めた遺族を反国家行為者として逮捕するなど損害賠償権の行使を妨害してきたこと」を理由に時効の適用除外と損害賠償を求める裁判を起こしたのです。
1審では特例の除外を認めず「時効の成立によって国家の賠償責任は消滅している」として請求を棄却し、2審でも「事件から5年間の時効が成立している」として1審判決を支持したため原告が上告し、2011年9月8日に大法院=最高裁判所が「韓国政府が賠償請求権を行使できない状況に置かれていた原告の請求を時効の成立を理由に拒否するのは不当」として審理をソウル高等裁判院に差し戻し、2021年末現在も公判中ですが、盧政権の売国政策を継承する文在寅大統領としては来年5月までの任期の間に自分の手で決着をつけたいはずです。
- 2021/12/24(金) 14:12:55|
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