太平洋上の島の国家・キリバスが1995年1月1日に領土を2分していた日付変更線を移動させたため東側に位置する島の1994年12月31日がなくなりました。
キリバスは太平洋の中央の赤道上で東経・西経180度、つまりイギリスのグリニッジ天文台の東経西経0度の真裏に当たり、世界で最も早く日付が変わる国です。
しかし、350万平方キロメートルの広大な海域に点在するギルバート諸島の16の環礁、フェニックス諸島の8つの環礁、ライン諸島の9つの環礁、孤島のバナバ島で成立しているため1979年にギルバート諸島がイギリスから独立した時、アメリカからフェニックス諸島とライン諸島も割譲されて吸収したことでギルバート諸島から東に300キロに位置するライン諸島が日付変更線をまたぐ形になってしまいました。
その結果、キリバス政府は2つの日付を併用することになり、業務の実施月日や現地からの報告の日付は煩雑な確認が必要になり、文字によらない官公庁と役所の無線や電話での連絡は両方が平日の週4日のみに限定され、業務が大きく阻害されていたそうです。
意外なことに日付変更線は地上でまたぐことがないようにあえて太平洋上に設定されて以降はそれが通っている国家の所定で変更することが可能で、スペインの植民地時代のフィリピンは本国やアメリカ大陸の植民地と日付を合わせるため日付変更線が西側に引かれていました。また帝政ロシアの領土だった頃のアラスカは本国と同一にするため日付変更線がカナダとの国境に引かれていて、1867年10月17日アメリカが買収した時には帝政ロシアがユリウス暦を使用していたのでグレゴリオ暦との誤差も加わって10月6日から11日分の前倒しになりました。
一方、太平洋上のサモア諸島は日付変更線の手前の東経172度に位置しているのですが、最大の貿易相手国のアメリカと日付を同一にするため1892年7月4日に西側に移動させました。ところが近年はオーストラリアやマレーシアとの貿易額がアメリカを上回るようになり、2011年12月29日に再び東側に移動させたので12月30日を跳んで12月31日になりました。
キリバスの場合、経済的な利便性ではなく国内の業務の効率化のためですが、ライン諸島を取り囲むように日付変更線を移動させたことてそれまでフランス領ポリネシアが保持していた「世界で最も日付が早く変わる島」の地位を奪取し、6年後の21世紀の到来と合わせて島の名前をミレニアム島に変更しています。確かに2001年の1月1日の午後9時の報道番組で日本よりも3時間早いキリバスから「世界最初の2001年」と中継していた民放があったように記憶しています。
そんなキリバスでは昭和18(1943)年11月から翌年2月までの「ギルバート(キリバスの別称)・マーシャルの戦闘」で制海権喪失後は補給手段もなく少数分散残地されていた日本海軍の守備隊がアメリカ軍によって各個撃破=全滅させられただけでなく、1957年から1962年にかけてアメリカとイギリスが33回の核実験を繰り返していますから決して平和な南洋の楽園ではないのです。
- 2021/12/30(木) 15:35:39|
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