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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月7日・「坊主は裏切る」・広川弘禅議員の命日

昭和42(1967)年の明日1月7日は曹洞宗の僧侶で日蓮宗の石橋湛山首相、浄土真宗の安藤正純文部大臣と共に「政界の3僧」と呼ばれながらも重大な政治局面では対立勢力に走る裏切りを繰り返したため被害を受けた吉田茂首相から「坊主は裏切る」と言われた広川弘禅議員の命日です。
広川議員は明治35(1902)年に福島県石川郡玉川村の曹洞宗の寺院の息子として生まれ、住職養成学校である現在の駒澤大学佛教学部に進学しながらも中退しています。この理由を経済的困窮とする人物紹介記事もありますが、駒沢大学佛教学部では寺院の子弟を3食付きの寮で生活させて修行期間に加えているのでかなり眉唾ものです。
大学中退後は道路工事の人夫や郵便配達を経て東京市電に就職しますが、労組を結成して労働争議を指導し、そのまま社会民衆党から東京市議会議員選挙に出馬して当選しました。ところが立憲政友会に移籍して東京府議会議員に当選し、さらに昭和15(1940)年には衆議院補欠選挙に当選しましたが、昭和17(1942)年の大政翼賛会の選挙に無所属で出馬して落選すると翌年の東京都議会選挙で当選しました。
敗戦後は保守の自由党の結党に参加して昭和21年4月の総選挙に出馬しましたが落選、しかし、最下位当選者が法定得票数に達していなかったため実施された再選挙で当選して昭和22(1947)年には自由党の副幹事長、社会党の片山哲内閣が崩壊した後の保守合同で結成された民主自由党では幹事長に就任しました。
昭和21(1946)年に鳩山一郎議員が公職追放で失職すると吉田茂首相に接近しますが、吉田首相は官僚出身者を重宝するエリート好みのため広川議員とは肌が合わなかったようでず。それでも民主自由党の反主流派が吉田首相の追い落としを画策した時には決行直前に内通して自己保身を図り、昭和24(1949)年の第3次吉田内閣では農林大臣、昭和26(1951)年には自由党総務会長になっています。
昭和26(1951)年に鳩山議員が政界復帰すると立ちどころに寝返り、「バカヤロー解散」前の懲罰動議では吉田内閣の農林大臣でありながら投票直前に鳩山派議員と一緒に退席して可決させる原因を作りました。吉田首相は囲み取材の記者からこの件の感想を求められて「坊主は裏切る」と答えたのです。
裏切り者の末路は当然凋落を辿り、落選しては悪あがきのように復活しても次には落選を繰り返し、選挙直前に死亡したため妻が代役で立候補しましたが1期限りでした。
野僧が曹洞宗帝国の東三河に住んでいた頃、大本山の永平寺と總持寺の副貫主の選挙がありましたが、公職選挙法が適用されない選挙の醜さを目の当たりにしました。永平寺には地元の超大寺院の住職が立候補しましたが選挙前に数億円をばら撒いて対立候補を潰す作戦が成功しました。一方、總持寺は選挙戦に突入したため納所務めしていた大寺院のファックスは印刷を続け、電話は鳴りっ放しになりました。ファックスの文面と取り継として聞いた話では永平寺の時の倍を超える工作資金と謝礼を振り込むと言う申し入れと相手の中傷でした。広川議員もそんな曹洞宗の政治坊主だったのでしょう。
  1. 2022/01/06(木) 15:51:21|
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