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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月24日・ラグビー伝説のウィリアム・ウェッブ・エリス牧師の命日

1872年の明日1月24日は「ラグビー校のフットボール(=現在のサッカーではない)の試合中に興奮した生徒がボールを持ってゴールまで走った反則プレーが発祥」と言うラグビー伝説の主人公とされるウィリアム・ウェッブ・エリス牧師の命日です。
野僧は幹部候補生学校で約8カ月間ラグビーの教育を受け、卒業前には何回か試合も経験しているのである程度は競技を知っているのですが、サッカーのロング・パスとラグビーでボールを持って走るのではスピードやボールを回す軽快さが格段に違うのでいくら興奮したからと言ってボールを持って走った理由が理解できません。
エリス牧師は1806年にイングランド北西部のランカシャー州サルフォードで近衛騎兵士官の二男として生まれました。1812年に父がナポレオン皇帝指揮下のフランス南方軍との戦役で戦死すると母は2人の息子を学費免除になるラグビー校の地域奨学生にするためウォリックシャー州ラグビーの時計台から半径10キロ以内の対象地域に転居した上で入学させました。ラグビー伝説は1823年秋に行われた校内のフットボールの試合中に起こったとされていますが確かにエリス牧師は1816年から1825年まで在学していました。ただし、エリス牧師自身はクリケットでは活躍しましたがフットボールは好きではなく試合にはあまり参加しなかったようです。
ラグビー校を卒業するとオックスフォード大学に進学して、修了後はイギリス国教会の牧師になりロンドン市内の教会で勤めた後、イングランド南東部のエセックスの教区牧師になり、ここで21名の聖職者とクリミア戦争に出征するイギリス軍将兵へのカミの加護を祈願した文章への署名と肖像画が残っています。
晩年は病気療養のため南フランスに転居しましたがその甲斐もなく64歳で亡くなり、墓地は長い間所在不明でしたが1954年になって南フランスのマントンの教会の地下で発見され、海が見える区画に改葬されたそうです。
エリス牧師の没後、ラグビーの普及と同時進行でエリス牧師のラグビー伝説が流布されるようになると信憑性が問題になり、1895年になってラグビー校のOB会が調査するとこの伝説は卒業生の弁護士が手記の中で紹介しているだけであることが判明しました。しかも弁護士は5年間エリス牧師と一緒に在籍していたものの伝説が発生したとされる1823年には卒業していて目撃談ではなく、ラグビー校の教員だった父親や在籍していた弟からの伝聞情報の可能性が高まり、信憑性は大幅に低下しました。
その後、生存している当時のOBたちに調査を広げたところ否定する証言はありませんでしたが、「エリス牧師はクリケットでは活躍していたがフットボールでは度々反則を犯した」と言う思い出話があっただけで、肯定=証明も否定もできないまま放置して現在に至っています。
それでもエリス牧師の名前はラグビーの発祥者として定着していてラグビー校には前述の肖像画を元に制作された丸いボールを持って走るエリス少年の銅像が立ち、ワールドカップの優勝杯には「ウェッブ・エリス・カップ」の名称が冠されています。
幹候校ラグビー1中隊5区隊=イチゴだけに赤いジャージ
  1. 2022/01/23(日) 15:03:33|
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