「閣下、お呼びとのことで馳せ参じました」数カ月後、陸上幕僚長室には埼玉県の朝霞駐屯地から陸上総隊司令官、熊本県の建軍駐屯地から西部方面総監が呼び出されていた。陸上総隊司令官にとって陸上幕僚長は前任者なので親近感を抱いても良いはずだが、長年防衛大学校出身者で独占してきた地位を横取りした東京大学卒として内心では敵視しているようだ。
「実は書簡や電話では説明できない情報が届いたので、お2人にご足労を煩わした次第だ」陸上幕僚長は2人を促してソファーに座り、コーヒーを運んできたWACの陸曹が退室すると英文の書類を先ず陸上総隊司令官に見せた。実は北部方面総監を加えた3人は同期で、次の陸上幕僚長レースでは1期後輩の東北方面総監、私立大学卒の中部方面総監を除くライバル同士でもあり、こちらも内心では対抗意識をくすぶらせている。
「これは・・・」陸上総隊司令官は翻訳していない英文を読み終えると口ごもりながら向いの席の西部方面総監に手渡した。西部方面総監は後回しにされた不満は微塵も見せずに受け取って書面に目を落とした。英語は在日アメリカ軍との連携と調整も担当している陸上総隊司令官の方が得意かも知れない。その点、二松学舎大学卒の中部方面総監の英語力には興味が湧く。
「例の諜報組織からの報告ですか」「最近は大使館の公式文書として外務省経由で届いていたんだが、外務官僚が官邸に持ち込む危険性があるから今回は防衛駐在官がアメリカ軍の軍事通信組織に依頼したようだ」「確かに石田政権に知らせるには内容が危険過ぎますな」陸上幕僚長の説明に西部方面総監が読みながら相槌を打ち、陸上総隊司令官もうなずいた。
「それにしても中国が韓国を使って日本に軍事的挑発を仕掛け、マスコミの批判報道で石田内閣を縛った上で軍事介入すると言う事態が本当に起こると思いますか」陸上総隊司令官の質問に陸上幕僚長は険しい顔で見返し、西部方面総監は2人の顔を見比べた。
「中国としては政権継続が決まった国家主席が共産党大会で公約した任期中の台湾統一がバイデン政権の強硬姿勢の表明で実現が難しくなって、その代わりに以前から中華帝国の属国と主張していた琉球王国、つまり沖縄に食指を動かしたと言うことだ」「しかし、バイデン政権は尖閣諸島も日米安保条約5条の適用対象地域だと明言していますが」「尖閣諸島や在沖縄アメリカ軍が駐留していない離島なら可能だろう」陸上幕僚長の見解に沖縄を担当する西部方面総監が疑問を呈すると陸上総隊司令官が補足した。
「君にはさらに難問が出題される。その軍事介入の理由づけに韓国が対馬などの日本海側の離島を占領する可能性が高いと言うんだ」「確かに危険地域の一覧にTSUSHIMAとありました」文書は西部方面総監が読み終えて陸上幕僚長に返したが、通信文式の文体で用件の概略を記した後、攻撃目標となる可能性が高い地域が一覧にしてあり、その中に対馬もあった。
「OKINOSHIMA(隠岐島)とMISHIMA(見島)もありました。だから私が呼ばれたのですね」西部方面総監の指摘に陸上総隊司令官も同調した。陸上総隊司令官は航空総隊司令官とは違い各方面総監に対する指揮権を与えられておらず、複数の方面隊が共同で対処するような大規模な事態で指揮権を付与され、それ以外は調整機能を果たしているだけなのだ。その点では大湊、横須賀、舞鶴、呉、佐世保の各基地に配備されている自衛艦隊所属の外洋型艦艇は指揮しても各総監部所属の近海用艦艇は指揮できない自衛艦隊司令官に近い。
「対馬は李明博政権も軍に奪還作戦を研究させたことがありますが」「あの時は民政党政権だったから在日アメリカ軍を通じて情報を伝えられても政府には知らせなかった」「韓国が侵攻ではなく奪還と考えていることが問題なんだ」3人は李明博政権の最高幹部が慢性的な低支持率を打開するために韓国軍に対して対馬奪還作戦の研究を指示し、危機感を抱いた韓国軍が在韓アメリカ軍に相談したことでホワイトハウスに発覚した一件を前例に引いた。しかし、今回も加倍内閣の外務大臣として日韓合意を締結しながら一方的に破棄されたことに特別な反応を示さない石田首相の政権なので韓国への外交的な対応は期待できない。
「彼らは国連本部へも調査に入っているようだが、どうやら中国と韓国はこれまで歴史上の領土と主張してきた琉球と対馬を実力で回復すると主張するつもりらしい」「馬鹿な・・・しかし、中国は常任理事国ですから有り得ない話ではないですね」ここで陸上幕僚長に促されて2人も冷めてしまったコーヒーをすすった。妙に苦みが強く感じる。
「そうなると対馬と沖縄の2正面の戦力を増強しなければなりません。しかし、沖縄はどの島に来るかが判らないと守備隊にはならないでしょう」「戦力の分散配置は日本軍が太平洋諸島で犯した大失策だ。離島防衛の基本は制空権と制海権の維持であって、我々は占領されて脅威となり得る島の奪還だ」「我が水陸機動連隊の出番か」「それが『戦略の具現と作戦の完遂』なんですね」陸上総隊司令官は前任者=陸上幕僚長の統率方針を納得したように口にした。
- 2022/01/30(日) 15:36:55|
- 夜の連続小説9
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