「このヘディング(進行方向)をキープ(維持)すると領空とは言わず領土侵犯されます」「タンカー(空中給油機)がADIZ付近でスタンバイしているので領土侵犯後に引き返すことは可能です」韓国軍のFー16戦闘機は緊急発進した航空自衛隊のFー2戦闘機の要撃を受けても変進することなく本州、しかも原発銀座と呼ばれる若狭湾に向かって飛び続けている。間もなく小松基地から発進するFー15に引き継ぐが西部航空方面隊としては武門の名折れだ。
「ストレート、リクエスト、シグナル・ブロー(警告射撃を要求する)」「スタンバイ(待て)」デニム27も何もできずに中部航空方面隊に引き継ぐことを恥辱と考えているようで警告射撃を要求してきた。許可権限を持たないWADは即答せずにSOCの判断を待った。やはり当事者たちは「可能限りの対処を実施しておきたい」と言う感情を共有しているのだ。
「デニム27、ノー ブロー(射撃は許可しない)」「・・・ラージャ」少し間を置いてSOCは不許可の判断を下し、WADがそれを伝達するとパイロットは一つ息を呑んで重い声で復唱した。今日までの日韓対立の発端が一方的な軍事衝突だった以上、韓国軍の挑発の背後に危険な意図が存在することは当然推察される。西部航空方面隊司令官は武人としての個人的な感情を捨てて政治的責任を選択したのだ。
「それではウィング・シグナル(翼信号=機体信号)を実施しましょう」「それは危険だろう」「ラージャ、ウィング・シグナル」シニア・ディレクターがSOCに機体信号の実施を意見具申するとそれを聞いていたパイロットが応答した。こでは国際軍事慣習で定められている要撃機が目標機の前方に出て左右の主翼を上下させてから右に旋回する「我に続け」の強制着陸の機体信号を意味している。SOCとしては要撃機が韓国軍機の前方に機体を晒す危険性を危惧したようだがパイロットは実施を自己判断した。
「デニム27・ジージョ、セパレート(分離)します」ここでWADは指令官からモニター(監視員)になり状況を中継した。ジージョは2機編隊のデニム27の片方を操縦しているパイロットのタック・ネーム(個人のコールサイン)で耳が大きいためイタリアの人形劇のネズミの主人公・トッポ・ジージョから命名された。
「ストレート、ディス イズ ジージョ、ポジション確保(規定位置に到着)、ウィング・シグナルを開始します」「中止して退避しろ」ジージョの交信にSOCは防空指令所の指令官を介さずに命令を伝えた。SOCとしては機体信号の実施を許可しておらず、ジージョの行動は空中戦に入るまで兵器指令官の管制に従う内部規定を無視した規律違反に外ならない。
「コリアンがスクォーク(SIF=敵味方識別装置)点灯、シンボルが重なります」その時、ID(識別)担当の空曹が大声を上げた。シニア・ディレクターとWADが身を乗り差してレーダー・スコープを注視すると今まで「F(ファイター)」と「K(コリアン)」と表示している航跡のうち「F」にだけ点灯していたSIF発信のシンボルが両方になっていた。
「危険だ。退避しろ」「コリアンが発砲した。ジージョが撃墜された。応戦する。正当防衛だ」シニア・ディレクターの叫びをもう1人のパイロットの一方的な言葉が遮った。同時に墜落地点を示すエマージェンシー・シンボルがレーダー・スコープに点灯した。
「交戦は認めない。ターンアウト(退避)しろ、エスケープ(逃亡)しろ」「2機対1機だ。交戦は無理だ。ドライ、ターンアウトしろ」「・・・ラージャ、ドライ、エスケープする」SOCに続いてWADが生き残ったパイロットのタックネーム・ドライを呼びかけるとパイロットは冷静になって指令に従った。
「ジージョはベイルアウト(緊急脱出)した模様、パラ・シュートで降下している。リクエスト、レスキュー(救助を要求する)。あッ・・・」交戦した位置から退避してジョージの確認に戻ったドライの報告にSOCと防空指令所が安堵した直後に悲惨な続報が入った。
「コリアンがパラシュートに発砲、ジージョが落下します。アルチュードはポイント65(650フィート=約200メートル)」陸戦法や海戦法では戦闘能力を失った将兵の殺傷は非人道的行為として明確に禁止されているが国際社会に空戦法は存在しないため脱出した搭乗員を空中で攻撃しても戦争犯罪にはならない。ただし、平時なので刑法犯罪になる。
「リクエスト、ドッグ・ファイト(空中戦を要求する)。向うはガン(機関砲)だけだ。こっちのミサイルなら2機とも撃墜できる。許可がなくても正当防衛としてキル(殺す)する」「コリアンはヘディングを反転させてエスケープしています。ヘディング350、距離125マイル(約200キロ)」「小松のレスキュー(救難隊)をリクエストしました」「ニュータ(新田原)にスクランブルをかけます」同僚を撃墜だけでなく殺害されるのを目の当たりにしたドライは復仇の殺意を燃え上がらせていたが、防空指令所では淡々と業務が継続していた。
- 2022/02/05(土) 15:08:42|
- 夜の連続小説9
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