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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

TBS「空飛ぶ広報室」について6

今回は航空救難団でしたが、救難員、通称メディックは番組の中で「陸海空自衛隊の中で最も過酷」と言われていた通り、陸の空挺(パラシュート)とレンジャー(山岳戦闘)、海のフィロッグマン(蛙男=潜水)と言うそれぞれが誇る3つの資格の上、衛生員の技能(多くは救急救命士)も有している精鋭中の精鋭です。
航空救難隊の本来の任務は撃墜されて脱出したパイロットを敵地から救出することですから、山中でも海上でも捜索して駆けつける必要があり、負傷したパイロットに応急手当てをして、時には捕獲、殺害にくる敵を制圧しながら救出しなければならないのです(野僧は北朝鮮の拉致被害者の救出作戦も実施できるのではと考えています)。
これには並外れた体力だけでなく特別な適性も必要で、熊本工業高校から2度甲子園に出場した野球部員が救難員を希望して課程に入ったものの、空挺とレンジャーはクリアしながらフロッグマンの水中でマスクを外されるテストでパニックになって卒業できずに断念しました。
メディックの教官をやっていた同期と数年ぶりに再会さたのですが、元々人間離れしていた顔や体格が完全に妖怪・モビルスーツ化していました。
またレスキュー(救難)パイロットも空井2尉のようなファイター(戦闘機)とは別の高度な技量を有しています。
友人のレスキュー・パイロットは、ファイターからの転換者の教育をやっている時、海上で「できるだけ低空で飛んでみろ」と言いました。するとファイター・パイロットは自分の腕をひけらかそうと波の上を掠めるように飛んで見せたのですが、友人は「救難で低空と言うのはな・・・」と言うと「こうだ、こうだ、こうだ」と叫びながら波だけでなく海面に沿ってギリギリを上下しながら飛んだのです。航空機は海面に突っ込めば墜落しますからファイター・パイロットは「ウワーッ、ギャーッ、デェーッ」と悲鳴を上げるばかりだったそうです。続いて山の稜線でも同じことをやったそうですが。
それほどの実力を持つ航空救難隊ですから山岳救助隊、消防、警察、海上保安庁(=海猿)では対応できない場所、気象状態での出動が多く、パイロット、メディックともに2次災害ギリギリの任務になります。
友人のメディックは「救助する人の順番をつけなければならない時が一番辛い」と言っていました。波と船体、風と山肌の状態を見れば全員を救助し切れないことは判っていますから、後の順番をつけることは死を宣告するのと同じ意味を持ちます。全員を助けられればいいが「もう一度」と降下した時、船体が波で横転することや強風で吹き飛ばされ断崖へ転落していくこともある。海上保安庁や警察、消防の救難ヘリではそこまで切羽詰まった状況はないでしょう。
それでも映像を撮影しているのは同行している海上保安庁、警察、消防のヘリなので、ニュースでは「画像提供・海上保安庁(警察、消防)」と言うことになり、国民の皆様には「海猿」の手柄と思われるのです。
さらに野僧が沖縄に勤務していた時、救助されたサーファーの本土からの大学生は航空救難隊と知って、「何で海上保安庁じゃないんだ。誰が自衛隊に助けてくれって頼んだ」と機内で手当てを受けながら散々に文句を言い、その後、挨拶もなかったそうです。それが航空救難隊です。
航空救難隊
ところでドラマで紹介されていた京都市八幡の飛行神社のお守り、お札ですが、確かにワザワザもらいに行く方もいますが、奈良基地の幹部候補生学校の知り合いに頼むことが多いようです。
幹部候補生学校の隊員も航空自衛官なので同僚や部隊の無事を真剣に祈りますから大丈夫なのです。ちなみに西部航空方面隊では太宰府天満宮の飛び梅の故事に由来する「飛行安全」のお守りが一般的です。
もう一つ、対領空侵犯処置のスクランブル(緊急発進)ですが、最近は300回前後を推移しているものの、野僧が空曹をやっていた昭和の時代には800回を超えていました。
当時は戦闘機の航続距離が短く、一度の日本領空への接近に対して複数回、戦闘機を上げることも珍しくなかったのです。ついでに言えば、その800回はソ連機に対するのみの緊急発進数です。尤も、あの頃の中国空軍には日本まで飛んでこられる飛行機はありませんでしたから。
最後に「家族がいながら危険に飛び込むのは」「妻の死に立ち会えなかったこと」を問う場面がありましたが、それで迷うようではパイロットが地上の安全の確認もせずに脱出してしまいます。
航空自衛官は雫石上空で高速の最新鋭旅客機に追突された旧式の練習機のパイロットが生き残ったことで受けた受けた「国民を殺してのうのうと生きている」などと言う不条理な批判と運輸省から受けた存在そのものを全否定するような訓練空域、方法への制限を加えられたことを忘れていないのです。
野僧も課程教育の最終段階を果たすため、唯一絶対の理解者だった師僧(祖父)の死に立ち会いませんでした。しかし、常に「一期一会(生涯一度の出会い)」の覚悟を以て接していましたから、師僧は「それでいい」とうなづいていたそうです。
ところで鷺坂1佐の亡くなった奥様の人間性は、野僧が愛していた沖縄の彼女にそっくりでした。
「貴方の仕事が知りたい」と航空雑誌を読んで野僧よりも詳しくなっていたり、「顔を見ていれば好物はわかる」と居酒屋で本土の料理を研究していた彼女。あの女性と結婚できていれば、健康を奪われることも仕事を失うこともなかったでしょう。親は選べませんから仕方ないですけど。

  1. 2013/05/28(火) 08:08:35|
  2. 「空飛ぶ広報室」解説
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