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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月30日・テルアビブ空港、赤軍小銃乱射事件

1972(昭和47)年の明日5月30日に日本赤軍の3人がイスラエルのテルアビブ空港で自動小銃(チェコ製)を乱射して26人が死亡、73人が負傷し、その後、駐機していたエル・アル航空の旅客機に手榴弾を2発投げました。
犯人は日本赤軍幹部の奥平剛士(27歳)、京都大学生の安田安之(25歳)、鹿児島大学生の岡本公三(25歳)の3人で、このうち奥平と安田は現場で射殺(連合赤軍の発表では安田は自決)、岡本は拘束されてイスラエルで無期懲役の判決を受けて服役していましたが、現在は出獄しレバノンで生存していると言われています。
野僧は小学校5年生でしたが、この頃はよど号事件、リンチ殺人事件、あさま山荘事件など赤軍派のテロがニュースを賑わしていて、同級生たちと怒り、警察に入って戦おうと誓い合っていました。それを航空自衛隊で実行したのは野僧だけでした。
野僧は警備小隊長時代に連合赤軍を研究しましたが、これは1970年前後に激化した学生運動の鎮静化に危機感を抱いた共産主義者同盟赤軍派の中央軍と革命左派である人民革命軍が一緒になって統一赤軍が成立したのですが、獄中にあった赤軍派幹部で革命左派の頭目・川島豪の意見で連合赤軍と改称されたのです。
しかし、軍と名乗っていても日本国内ではゲバ棒と火炎瓶くらいしか武器がなく、そこで1971年2月12日に栃木県真岡市内の銃砲店を襲って猟銃10丁、空気銃1丁、弾丸2300発を奪って武装し、この武器が大菩薩峠事件、あさま山荘事件で使われたのです。
今、考えてみるとこの時代、一流大学のエリート学生たちが日本で共産革命が実行できると真剣に信じ、(彼らにとっての)敵だけでなく同士までを殺していたことは恐ろしく哀れであり、滑稽でもあります。
しかし、現在でも70年安保の頃、大学生であった団塊の世代のエリートには、この愚かさを引きずっている人が少なからずいますから、そのすぐ下の我々と生育環境の何が違うのか解明する必要があるかも知れません。
野僧の大学は80年代になってからも革マル派と共産党系の民主青年同盟が学内闘争を繰り返していた時代遅れな左翼大学でしたから、その空気は少し感じていましたが、大学をやめて航空自衛隊に入ると知った民青の女闘士の同級生がギターを弾いて森山良子の「愛する人に歌わせないで」を歌いながら涙を流していた、そんなセンチメンタルな革命ゴッコだったのかも知れません。
それにしてもリンチ殺人事件の主犯・永田洋子と長く中東で暗躍していた重信房子では容貌に大きな差がありますが、どちらも男どもを操って革命に命を捧げさせられるのですから不思議です。
ダッカ事件で釈放された美人妻・大道寺あや子は何所へ行ったのやら。
  1. 2013/05/29(水) 08:56:12|
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