1936年の明日2月25日は2月7日の記事「イギリス海軍に痛撃!偽エチオピア皇帝事件」を企画し、主演した稀代の悪戯王・ホレス・ド・ヴィア・コールさんの命日です。
コールさんは1881年にイギリス陸軍少佐の父親とアイルランドの準男爵家の母親の裕福な家庭で生まれました。幼い頃に父親が赴任中のインドでコレラに罹って死亡し、コールさんも10歳の時にジフテリアで聴力に深刻な障害を負ったことで世の中を斜(はす)に見て嘲笑する屈折しながらも痛快な人生観が出来上がったと本人と周囲が語っています(トーリー党=保守党のチェンバレン首相と結婚した妹は大掛かりな偽労働党大会騒動について夫と「少し狂ってる」と評し合ったそうです)。
ロンドンの西郊外にある全寮制男子校のイートン・カレッジに進学しますが18歳の時にアイルランド貴族で富豪の娘と恋に落ちて結婚しましたが、新婚旅行で訪れたイタリアのヴェネツァアに馬がいないことを知ると深夜にホテルを抜け出して本土に渡り、馬糞を大量に買い集めて観光名所のサンマルコ広場に撒き散らす悪戯を行いました。朝になってそれを見つけた市民は驚愕と困惑で茫然自失だったようです。
ところが南アフリカの領有を巡ってイギリスとオランダが争った第2次ボーア戦争が勃発すると聴覚に障害がありながら陸軍に召集されて騎兵中尉として出征しました。しかし、1900年に現在は戦争法で禁止されているダムダム弾(弾頭が尖っていないため貫通しない)で重傷を負い、南アフリカの赤十字病院に入院して退院後に除隊になると1902年にケンブリッジ大学に進学しています。ケンブリッジ大学在学中には偽ザンジバル・スルタンのケンブリッジ市訪問の悪戯を成功させましたが学位は取得できませんでした。
大学卒業後の1906年に祖母が亡くなったため遺産として不動産を相続しますが管理が煩わしかったため1910年に叔父に売却して、偽エチオピア皇帝海軍視察騒動を起こし、間もなくカナダでの土地投機に失敗して全財産を失い、娘を儲けていながら28歳で妻と離婚することになりました。
そんな冴えない生活の中でもコールさんは晩年まで悪戯を続けていて、ロンドンの街中で当選したばかりの国会議員に徒競争を持ちかけ、スタートする直前に相手のポケットの中に金時計を入れておき、走りながら「泥棒」と叫んで警察官に逮捕させ、ネタばらしをすると相手は無罪でも本人は治安妨害罪で罰金を支払わされた。また演劇に頭が禿げた男性8人を雇って上流階層の高いバルコニー席の下の席に並ばせたのですが頭の頂部に「BOLLOCKS=くだらない」と書いてあったと言う秀逸な悪戯があります。
しかし、悪戯には天賦の才を発揮しても私生活では1930年にインド料理店の下働きの女性と結婚しますが、1935年に生まれた男の子はこの女性の結婚前からの愛人で、結婚後も不倫関係を続けていた画家の息子で、その翌年にコールさんはフランスのオンフルールで心臓発作を起こして亡くなっています。ちなみにこの後妻は1939年にイギリスの考古学者と再婚しますが不倫が発覚して離婚した上、不倫相手の浮気に嫉妬して射殺未遂事件を起こして6カ月間服役しました。この結婚はまるで自分への悪戯=嫌がらせです。
- 2022/02/24(木) 16:06:27|
- 日記(暦)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0