橋幸夫さん、船木一夫さんと共に昭和の芸能史を飾った御三家の1人で「君だけを」「星のフラメンコ」「星娘」などのヒット曲を飛ばす一方で俳優としても活躍した西郷輝彦さんが2月20日に亡くなったそうです。意外に若い75歳でした。
野僧の祖母は大の芸能好きで近所に人家がない山寺なのを好いことに朝から晩まで主に美空ひばりさんと橋幸夫さんの曲を流し続けていましたが、西郷さんのアップ・テンポの曲は好みではなかったようでレコードは持っていてもあまり聴きませんでした。ところが妹がテレビで見た「星のフラメンコ」の「好きなんだけど(チャチャチャ)」と顔の横で拍手する踊りが気に入ってしまって聴くようになりました。それにしても江戸っ子の橋幸夫さんや愛知県人の船木一夫さんは純和風の風貌ですが、西郷さんは薩摩隼人らしく完全な九州人で、もう1人加えて「四天王」と呼ばれた三田明さん(東京でも都下出身)の方がセットとしての収まりは好かったようです。
そのためなのか時代劇ファンでもあった祖母は西郷さんが「江戸を斬るⅡ」で遠山景元=金さんを演じるようになると「江戸っ子が似合わない」と御贔屓の杉良太郎さんの「遠山の金さん」と比較していました。
一方、野僧にとって役者の西郷さんは昭和62(1987)年の大河ドラマ「独眼竜政宗」の片倉小十郎と何と言っても関西テレビが昭和48年から52年まで放送していた花登筐ドラマ「どてらい男(やつ)」です。このドラマは野僧の小学校6年から中学校3年まで放送されていたのですが、その頃は岡崎市の小学校からド田舎(現世の三悪道)の中学校に入って閉鎖的な土地柄に馴染めず、生徒だけでなく教師からも筆舌に尽くし難い苛めに遭っていました。そんな時、親がこのドラマを見ているのを覗いて以来、こっそり見るようになりました。特に番組の主題歌が気に入り、小遣いでレコードを買ってきて聞きながら唄い、「どてらい男になるぞ!」と挫けそうな気持ちを奮い立たせたものです。花登筐ドラマと言えば老舗に嫁入りした女性が姑や古手の店員の苛めに耐えながら商売に目覚め、現実にはあり得ない嫌がらせや不運に遭いながらもやがて成功し、姑とも和解してメデタシメデタシと言うのがパターンですが、このドラマは西郷輝彦さん演じる山下猛造が極めてエネルギッシュで、丁稚奉公した機械工具問屋で店主や番頭から受ける苛めに耐えるのではなくそれを逆手にとってやり込める展開は本当に勇気と元気をもらいました。
中でも山下猛造が出征して沖縄戦に参加した後、捕虜収容所で大儲けした話は海軍陸戦隊の中尉で士官斥候中に豊見城村の集落で戦死した前世の記憶に重なって印象に残っています。また藤岡重慶さんが演じた坂田軍曹が壇団右衛門大将と名乗っている山下猛造に「山下、お前はただの2等兵やないけ」と言った口調は自衛隊に入ると古参空曹たちから聞いて懐かしくなりました。
現在、主治医が経営する特別養護老人ホームの娯楽室に毎月、毛筆で書いた昭和歌謡の歌詞を掲示していて、「そろそろ御三家にしよう」と来月は船木さんの「高校三年生」にする予定ですが西郷さんは追悼になってしまい残念です。心から冥福を祈ります。合掌
「どてらい男(作詞・花登筐、作曲・神津善行)」
男歩けば勝目(つきめ)に当たる そわそわするなよ ここらが度胸
じっくり構えて掴めばいいのさ 運は向こうで待っている
待っていなけりゃ明日があるさ どうせ一生 どでかく生きににゃ
男歩けば落ち目に当たる くよくよするなよ ここらが根性
どっかり座って耐えればいいのさ 損して得とりゃ元々だ
元がとれなきゃ裸でいよう どうせ一生 どでかく生きにゃ
- 2022/02/25(金) 16:12:12|
- 追悼・告別・永訣文
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