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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ47

最近、茶山元3佐は愛知県の小椋元3佐と連絡を取り合っている。海上自衛隊の対潜哨戒機と航空自衛隊の緊急発進機が撃墜された時は元自衛官として殉職者の冥福を祈ったもののどこか他人事だった。しかし、今回の竹島への攻撃と警備隊員の殺害を陸上自衛隊が実施したとする疑うマスコミの報道を見ると事実を究明しなければいられなくなった。
「お手紙いただきました。相変らず強い好奇心を発揮しておられることに感服しました」小椋元3佐の手紙は総務・人事を担当する元1科長だけに折り目正しい。茶山元3佐は小椋元3佐が自分の中隊の陸曹だった頃、戦時中に出征した父親が広島の海田市にあった船舶工兵隊に配属されて、敗戦間際には隠岐島守備隊として陣地構築と島民の疎開に当たっていたと聞いたことを思い出して質問の書簡を送ったのだ。
「残念ながら私は入隊後、豊川に配属されたので滅多に実家に帰らず、おまけに遅く生まれた3男なので父親と酒を酌み交わす機会があまりないまま死んでしまいましたから船舶工兵については詳しくは聞いていません」先ず「あまり期待するな」と予防線を張るのも小椋元3佐の文体だ。茶山元3佐も出征から帰還してから生まれた息子なので父親は比較的年配だったが、80歳と長命だったおかげで自衛隊に入ってからも軍隊時代の体験談を詳しく聞くことができた。その点、小椋元3佐の父親は入隊して間もなく亡くなっているので得難い後継者になった息子に貴重な情報を語り残すことができなかったようだ。
「ただ私も施設学校の教官として渡河については研究していたのでその範疇でお答えします」「それで結構」ようやく本論に入って茶山元3佐は思わず合いの手を入れてしまった。しかし、陸曹時代の小椋元3佐は事務室で勤務させたことはなく、命令や報告などの公文章を作成させていない。つまり部内課程で幹部になってから文章力を培ったので完全に陸上自衛隊式になったらしい。それでも1科勤務の隊員の中には行政書士や司法書士の資格を取得する者もいるから得手不得手の問題のような気もする。小椋元3佐は工業高校出身のはずだ。
「今回の事件では陸上自衛隊の特殊部隊が漁船を使って竹島を奇襲したと言う疑惑が報じられていますが、当日は晴天で新月の暗夜で、照明を消して小型船舶用のレーダーと竹島の山頂にある監視所の窓灯りだけを目標にして接近し、桟橋に接岸するのは困難でしょう。しかも海が静かであればエンジン音を波で隠蔽することもできず、実際は韓国陸軍の兵士らしい監視所の隊員が気づかないはずがありません」茶山元3佐も施設科の幹部であり、昭和55年の夏には第10師団が中部方面隊の指定研究で実施した木曽川での渡河演習にも参加しているので操船には詳しいのだが流石に施設学校の元教官には敵わなかった。
「これは私の個人的見解ですが、海上自衛隊のPー1や航空自衛隊のFー2の撃墜事件も日本政府は『韓国側が攻撃していながら日本側が手を出したことにする証拠を捏造した』と言っているので今回も自作自演ではないでしょうか。インターネットに流出した海から引き揚げられた警備隊員の遺体も若い兵士ではありませんでした。画像を印刷して添付します」ここで茶山元3佐が封筒を確認するともう1つ茶封筒が入っていて表に「注意・遺体の写真」と書いてあった。茶山元3佐は深く息を吸うと中身を出して見た。
「これは還暦過ぎだな。3人ともそうだ」インターネットに流出した画像を自宅のプリンターで印刷しているのでかなり不鮮明だが、遺骸の3人は頭頂部が薄く、後頭部の毛には白髪が混じっている。本来はフリッツ(=ドイツ軍)式ヘルメットで隠蔽したかったのだろうが、遺骸を海面に浮遊させておくには邪魔だったのだろう。一方、表情は苦悶と言うよりも恐怖に慄いていて事故死ではなく殺害されたことが推察された。
「韓国がここまでやると言うことはかなり危機的状況に陥っていると考えなければなりませんが、ウチは息子2人が自衛官になっているので親として心配しています。私は2021年に即応予備自衛官を定年しましたから一般国民です」言われてみれば小椋元3佐の幼い頃からサバイバル・ゲームで鍛えられた息子2人は陸上自衛隊に入隊し、第10師団でも守山と金沢の普通科連隊の陸曹=サバゲのプロになっている。それにしても茶山元3佐と小椋元3佐の父親はどちらも軍歴があったが息子が同じ道を歩むことを決めた時、反対も激励もしなかった。今では自衛隊も世襲制の様相を呈していて息子を入隊させている元自衛官が多いが、自分が経験しなかった戦争の気配が迫ってくる現状をどのように受け止めているのだろうか。
「追伸、渥美半島の田原市は韓国ソウル市の戦没者霊園(=国立ソウル顕忠院)がある銅雀区と姉妹都市のため在日の住民が豊川や浜松の空自に抗議デモに押しかけています。元々、在日の連中が帰国して霊園で参拝したことが姉妹都市になった切っ掛けなので反日なのは当然ですが」茶山元3佐は大好きな東三河の意外な実状に複雑な思いを抱いて手紙を封筒に戻した。
  1. 2022/02/27(日) 13:14:58|
  2. 夜の連続小説9
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