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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月3日・スバル360の公式記者発表会が開催された。

昭和33(1958)年の3月3日に日本人が初めて「マイカー」と認識した国民的大衆車・スバル360の公式記者発表会が開催されました。
昭和36(1961)年に生まれた野僧は都市部の大企業の社宅に住んでいたため自家用車を見る機会が比較的多かったのですが、社宅ですから収入は同じなのでスズキのフロンテ、マツダのキャロル、三菱のミニカ、ダイハツのフェローなどの軽自動車が中心で、中でもスバル360の愛らしい車体は子供たちが走って後を追いかけたものです。
敗戦後の日本は廃墟から復興していく中で輸入が解禁された外国映画、特にハリウッド映画で国力の圧倒的格差を思い知らされるのと同時に豊かな生活に憧れる気分が急速に広まりましたが、テレビや電気冷蔵庫、掃除機などは庶民の収入でも何とか入手できても自家用車は高根の花どころか高山植物でした。
そんな昭和30(1955)年に通産省が軽自動車の「国民車育成要綱案」を発表すると大手の自動車会社が主に車用車用と富裕層向けの高級車を生産していて見向きもしなかったこの要綱案に戦前は日本の軍用機の開発と製造の中心的企業だった中島飛行機を前身として戦後はスクーターを製造・販売していた富士自動車が自動車産業に本格参入する好機として関心を示し、伊勢崎工場で社運を賭ける覚悟で研究を始めたのです。
通産省が示した要綱案では「小型車並みに定員は大人4人」「最高速度100キロ以上」とありましたが、当時の貨物車の主流だった1人乗りオート3輪を前提にした軽自動車規格のため排気量は360cc、車体は幅130センチ以下、長さ3メートル以下、高さ2メートル以下に制限されていて「無理」と言うのが常識的見解でした。ところが富士自動車は独自に「4人が『快適』に乗車できる」「悪路でも時速60キロ以上で走行できる」「15馬力以上、車体重量350キログラム以下」と言う基本構想をまとめたのです。
そして戦闘機には必要不可欠な防御力を捨てて海軍が要求する速度と航続距離を実現した三菱重工とは違い最高の完成度を持つ傑作機を次々に送り出した中島飛行機の系譜を持つ富士自動車の技術者は画期的な発想でこの「自爆的基本構想」を克服していきました。先ずスクーター用を改造した小型の360cc直列2気筒エンジンを開発し、室内の足元を遮るシャフトを解消するため後部にエンジンを積むリア・エンジン方式を採用しました(当時はパワー・ステアリングではなかったのでフロント・ドライブは無理だった)。次に航空機で培った高度な金属加工技術を駆使した厚さ0・6ミリの鋼板を一体構造にすることで車体の強度を確保し、天井は強化ポリエステルにしてさらに軽量化を図りました。
こうしてこの日に記者発表会を開催するとイギリスの新聞が「日本のフォルクスワーゲン・ビートル(=ヒトラー総統が国民車として製造させた)現る」と報じたことで「小型のビートル(カブトムシ)」の「てんとう虫」の愛称もついて大学新卒者の初任給が1万3千円だった時代に43万5千円だったにも関わらず発売8カ月間で1000台を売り上げ、昭和42(1967)年にホンダが発売したN360に人気を奪われて昭和45(1970)年に中止になるまで34万2160台が製造されました。
  1. 2022/03/03(木) 16:42:35|
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