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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月13日・ブルートレインが消滅した日

2015年の明日3月13日に青函トンネルを通って上野と札幌と結んでいた寝台特急列車「北斗星」が廃止になって定期運行のブルートレインが消滅しました。
ブルートレインと同義語になっていた寝台特急列車(一部、同じ車両を使用する例外はあった)は昭和31(1956)年に運行を開始した東京と博多を結ぶ「あさかぜ」が最初でしたが深夜に関西地方を通過していたように車中泊が前提だったので乗客が横になって睡眠できるように折り畳み式のベッドを設置した寝台車が採用されたのです。このため寝台列車の昼間の座席はベッド分の長椅子で通路は片側にありました。
この寝台特急列車は昼間運行の特急列車がクリーム地に窓を赤の線で結んだ派手な彩色だったのに対してヨーロッパの寝台車を参考にした屋根以外は藍に近い青を基調にしてクリームの細い線を3本入れた渋いデザインになりました。
この車両は当初、東京と博多専用だったため「九州特急」と呼ばれていましたが、やがて東北地方の路線でも使用されるようになると「九州特急」では不適切になったため鉄道雑誌や旅行雑誌が「ブルートレイン=ブルトレ」と言う呼称を使うようになったのです。
昭和45(1970)年に大阪万国博覧会が開催されると新幹線が通っていない全国各地からの長距離移動の旅客需要が大幅に増加して寝台特急列車の路線が拡大してブルートレインは全国で見られ、親しまれるようになりました。
そして野僧が高校に入った昭和52(1977)年頃からブルートレイン・ブームが湧き起こり、鉄道研究会が各クラス回覧の冊子で紹介したため妙に詳しくなってしまいましたが、蒲郡駅を通過する列車だけでも東京と下関になった「あさかぜ」、東京と出雲の「出雲」、東京と米子の「いなば」、東京と紀伊勝浦の「紀伊」、東京と長崎の「さくら」、東京と新宮崎の「彗星」、東京と大分の「富士」、東京と熊本・長崎の「みずほ」などがあり、鉄道研究会は時刻表で通過時間を調べて駅で撮影していました。
しかし、それと同時期に自民党の運輸族は運輸省の官僚と結託して新幹線が通っていない地域に空港を建設して航空路線で大都市圏と結ぶ採算性を度外視した愚策を進めるようになり、全国各地に便数が少なく利用客は皆無に等しい空港と新幹線に高速道路が均等割りに建設され、奪い合うほどの客もなく共倒れで赤字を垂れ流すことになりました。
その後、野僧は防府南基地で臨時勤務中に東京へ行く急用ができて小郡(現在の新山口)から切符が取れた「富士」に乗ることになりましたが、乗車したのが消灯時間過ぎだったため車掌に案内されてベッドに潜り込んだだけでした。ところが朝起きると隣りのベッドに寝ていたのは大分県内の高校を卒業して東京の大学に入学する美少女で一晩カーテン2枚越しの隣で寝ていながら気づかずにいた迂闊さに無念の歯噛みをしました。そう言えば眠っていて女の子の溜め息を聞いたような気がしたのですが沖縄から防府に来て1ヶ月が過ぎていたので「恋しい彼女に会えず欲求不満なのだろう」と自分に呆れていました。
ちなみに山口と津和野で運行しているSL山口号は当初、ブルートレインの座席客車でしたが「レトロ感が味わえない」と不評だったので現在は昭和初期の旧式客車になっています。
  1. 2022/03/12(土) 15:28:44|
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