3月3日に名古屋高等裁判所が1961(昭和36)年3月28日に三重県名張市の葛尾地区の公民館で催された農村生活改善クラブ「三奈の会」の総会に出席した男性12人と女性20名のうち女性用に出された白ブドウ酒(男性は清酒)を飲んだ17名が中毒症状を起こし、このうち5人が亡くなった「名張毒ぶどう酒殺人事件」で逮捕され、1972年の最高裁への上告棄却で死刑が確定したまま40年以上執行されず、9度目の再審請求中だった2015年10月4日に肺炎で入院していた東京都八王子市の医療刑務所で亡くなった奥西勝死刑囚の実妹が起こしていた10度目の再審請求を却下しました。
野僧は名張市内の寺の春秋彼岸と盂蘭盆会、年末を手伝ったことがあり、中退した大学が法学部だったため講義で習ったこの事件を思い出して現場を訪れ、旅館から近い名張市立図書館で夕方から閉館時間まで公判記録などの詳細な資料を読んだのですが、ブドウ酒からは農薬が検出され、宴席の準備を担当した男性3名と飲まなかった女性3人が取り調べられた結果、死亡した女性の中に妻と愛人がいた奥西死刑囚が「三角関係の解消を狙った犯行」として逮捕されたようです。しかし、逮捕当初は犯行を認めていた(と警察は発表した)奥西被告は一転、否認に転じています。
そして迎えた津地方裁判所での1審では証言から導き出される犯行時刻や蓋を口で開けたとする歯形が一致しないことなどの理由で無罪が言い渡されました。ところが名古屋高等裁判所での2審では警察の事情聴取とマスコミの取材で葛尾地区住民の相互不信が激しくなって参考人の証言が変わったことなどもあり死刑の判決が下り、11年後の1972年に最高裁でも上告が棄却されたため死刑が確定しました。
その後は弁護団の強力な支援を受けて資料を読むのが面倒臭くなるほどの再審請求が行われいましたが、弁護団側が奥西被告の犯行を否定する証拠を提出して再審を請求し、検察側が「犯行は可能であった」とする方法を示して棄却されることが繰り返された結果、素人が思いつくことは無理なのではないかと首を傾げるほど微妙な犯行テクニックになっており、刑の執行がないまま時間が経過し、89歳になった奥西死刑囚は病没しました。
名古屋高等裁判所は昭和36(1961)年8月27日に世界で初めて安楽死の受容基準を示した山内事件の判決を下している一方で昭和38(1963)年2月28日には昭和の岩窟王事件の誤審を認めて裁判官が謝罪し、昭和45(1974)年8月25日の愛知大学事件の差し戻し判決では学園闘争が激化している中で警察官の学内立ち入りを原則否定する判決を出し、愛知地方検察庁も昭和44(1969)年6月12日には豊橋警察署の思い込み捜査と物的証拠の隠蔽に基づく冤罪で死刑を求刑した豊橋事件で敗訴するなど数多くの失態を犯しているのですから、大学中退のほとんど素人が読んでも弁護側の疑問に対する検察側の「こじつけ」としか思えない不自然な犯行態様による立件で死刑判決を獲得した実績に固執するのは止めて合理的な再検証に臨むべきでしょう。
ただし、亡国弁護団が政治的意図で主導する再審請求はこちらの方が「こじつけ」であることが多いので「日本の司法で再審が進まない原因」と断ぜざるを得ません。
- 2022/03/14(月) 15:29:10|
- 時事阿呆談
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