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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月19日・トルコが戦時下のイランから日本人を優先救出してくれた。

1985年の3月19日にイラン・イラク戦争の長期化・膠着状態に苛立ったサダーム・フセイン大統領が「イラク領空内を飛行する航空機を無差別に撃墜する」と宣言したことを受けてトルコ航空機が自国民よりも日本人を優先して救出してくれました。
イラン・イラク戦争は古代から戦火を交えてきたペルシャ帝国とアラビアが近代国家のイランとイラクになっただけの延長戦ですが、イスラム教のシーア派とスンナ派の教派対立も加わって化学兵器の応酬などの泥沼の様相を呈しただけでなく、さらにアメリカがイラン革命中のテヘランの大使館占拠事件の報復と宿敵のリビアがイラン側に参戦したことでイラクを支援したため意味なく長引き世界中をイライラさせる戦争になっていました。
そんなイライラが高じたフセイン大統領が1985年3月17日に突如として「48時間を期限にイラク領空内を飛行する航空機は無差別に撃墜する」と宣言したためイラク在住の外国人は自国が派遣した軍の輸送機やチャーター機で出国を始めましたが、日本は自衛隊機の海外派遣が認められておらず、当時は唯一国際便を運航していたフラッグ・キャリア(準国営航空会社)の日本航空は搭乗員の各労働組合が「安全の保証がない」と拒否したため流石の中曽根康弘内閣も打つ手がなくなりました。
この事態に在イラク日本大使館はイラクから脱出する他国の大使館に派遣されてくる輸送機やチャーター機の空席の有無を確認し、子供や女性だけでも割り込ませて欲しいと懇願しましたが、どの国からも「自国民さえ優先順位を付けなければならない状況である」と拒否されて途方に暮れていました。そんな時、野村豊大使が個人的に親しくしているトルコ大使に相談したところトルコ政府が派遣するトルコ航空(現在はターキッシュ・エアラインズ)のチャーター機2便に215名の日本人を搭乗させただけでなく、「トルコは地続きだから陸路でも脱出できる」と乗れなかった500名は自動車で脱出させたのです。
しかし、日本のマスコミはこの恩義や日本航空の搭乗員労働組合の在外邦人の生命を軽視した対応を国民に周知することなく、トルコから日本航空のチャーター便で帰国した日本人を被害者扱いしただけでした。これに対して日本の保守派言論人は「トルコ政府は明治23(1890)年9月16日に和歌山沖で台風に遭遇して転覆した巡洋艦・エルトウールル号を地元の漁師が嵐の海に漕ぎ出して救助し、家族が介護して69名を救った(587名が死亡)恩義に報いてくれたのだ」と日本航空の搭乗員労働組合を批判しました。
日本航空の搭乗員労働組合は管理職である機長まで独自の組織を結成していて売国省庁・運輸省の労組に与しているため処遇改善以上に政治的な運動を専らとして1990年の湾岸戦争でフセイン大統領が在留外国人を重要軍事目標に配置する「人の盾」を標榜した時も同様の要請を拒否しています。ただし、湾岸戦争では1986年から国際線に参入していた全日本空輸の自衛隊OBの機長たちが志願し、客室乗務員も同調しましたが担当の運輸省の官僚がフラッグ・キャリアの面子を優先して要請しなかったため外国の航空会社と破格の航空料金で契約することになりました。現在は航空自衛隊のCー2輸送機には110名搭乗できる上、Cー130Hと違って高速度なので迅速に対応できるでしょう。
  1. 2022/03/19(土) 16:48:57|
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