「デカ長は2012年8月15日に香港のテレビが上陸した時の待ち伏せに参加したんですよね」2番機では分隊長の巡査部長に若い隊員が話しかけていた。沖縄県警の機動隊は輸送用の大型ヘリコプターが配備され、本土から搭乗員と整備員付きで移動してきて2020年4月1日に国境離島警備隊に改編された。その時、指揮官の幹部警察官も本土からの出向者になったがこの巡査部長は沖縄県出身なので若い隊員たちも敬意と共に親近感を抱いていた。
「10年以上前の話だからな。あの時は中国国内でフェニックステレビを経営している香港の元人民解放軍幹部が愛国団体とカメラマンの5名を連れて上陸したんだ。俺たちは海保(海上保安庁)の巡視船で事前に上陸していて出入国管理法と難民認定法違反で現行犯逮捕したんだが、その模様を中国国内で放送されて大問題になったんだ。おまけに民政党の野畑内閣だったから外務省と警察庁の指示を受けた沖縄県警が悪者扱いされたよ」「海保が上陸して逮捕すれば良いのさァ」若い隊員は単純明快に反応した。これが世代なのか県民性なのかは判らない。
「海保の逮捕権の行使は基本的に海上なんだ、離島とは言え陸上だから俺たちに任せたんだろう。あの時点では沖縄県石垣市に所在する私有地だったからな」「上の人が決めることはヤヤコシイさァ」若い隊員の返事に巡査部長は十数年前に尖閣諸島に向かう巡視船の中で同世代の海上保安官と似たような会話をして同じ台詞を吐いたことを思い出して苦笑いした。しかし、あの時は社会的地位を持つ人間たちが逮捕される光景を中国国内で放送することが目的だったので殊更に無抵抗を演じていたが、今回は昭和63年に日本の右翼団体が設置して民法の規定で国庫に編入された照明式灯台に代わる電波発信機を設置して領有権を誇示することであり、今回は政府の指示で普通の警察官用の38口径の回転式弾倉の小型拳銃なので相手が船に軍用小銃を隠し持っていて抵抗すれば歯が立たない。
「俺、少林寺の道院に入ったことがありますが、突き蹴りが軽くって当たっても効かないっす。少林寺と香港カンフーは似ているって言うから沖縄空手の敵じゃあないさァ」「お前は上地流の2段だもんな」巡査部長の目が険しくなったのを見て別の若い隊員が天真爛漫に声をかけた。唐手=空手の発祥の地である沖縄に少林寺拳法を持ち込んだのは航空自衛隊で、隊員の部活動として那覇航空隊支部が設立された。すると映画「少林寺」が公開されたこともあり沖縄の若者たちが興味を持って入部するようになり、やがて隊員と同人数程度にまで膨らんだため基地外に豊見城道院が設置され、琉球大学内でも学生の部活動が始まって急速に普及していった。そうなると当然、地元の空手家たちは興味と対抗意識を抱き、白帯として入門すると組手=少林寺拳法で言う乱取りを要求したが、少林寺拳法では有段者になるまで乱取りは禁止されているため型としての練習で相手に胸や腹を突かせて威力を確かめることを繰り返した。この隊員もそんな郷土愛の持ち主の1人のようだ。
「中国海警に通告する。間もなく日本国沖縄県警のヘリコプターが着陸する。目的はあくまでも君たちを取り調べることだ。中国政府の主張は別として日本国及びアメリカなどの国際社会では尖閣諸島は日本国固有の領土であり、そこに許可なく立ち入った行為は警察権の行使対象になる」沖縄県警の大型ヘリコプターの接近を無線で通知された海上保安庁の巡視船・こみは島に運び上げた器材の組み立て作業を始めた漁民たちを守るように周回している中国海警の警備船にスピーカーと国際海洋周波数の通信で通告した。すると漁民たちは中国語の通告に反応して拳を突き上げながら何かを叫んだ。
「後甲板の主砲が上空を向きました。前甲板の主砲はこちらです」「そうか、向うは軍用艦艇だから武装は1つじゃあないんだな」巡視船・こみの船橋では副長が双眼鏡で確認した状況を報告し、一緒に双眼鏡を覗いている船長が今更のように応じた。
「こちらも機関砲を向けろ。ヘリを撃墜させてはいかん。発射の兆候を確認したら威嚇射撃しろ」「船首の前方50メートル付近に着弾させます」「よろしい、回避操舵で発砲を妨害しろ」船長の指示に甲板長を兼務している副長が応えた。つまり巡視船・こみは沖縄県警の国境離島警備隊員を乗せた3機の大型ヘリコプターを守るために武力行使するのであって、それが中国海警に応戦と言う発砲の口実を与えることは度外視しているのだ。今朝もこの海域に到着する前に僚船・いんぶと共に現場海域で撃沈された大型巡視船・おもとと中型巡視船・せなかの同僚たちの慰霊のために花束を投げてきたが、今は後に続く覚悟になっている。
「後甲板の主砲、目標を追尾しています」「初弾発射と同時に警告射撃、こちらに発砲すればブリッジ(=船橋)を狙って応射しろ」「了解、発射用意」巡視船・こみの武装は1分間に6000発の発射速度を持つ20ミリ多連装機関砲=バルカン砲だが軍用艦の主砲の威力とは比べ物にならない。主砲の初弾が外れることを期待して致命傷を与えるしかないのだ。
- 2022/03/21(月) 14:41:15|
- 夜の連続小説9
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