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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月30日・日系人差別で孤軍奮闘したフレッド・コレマツの命日

2005年の明日3月30日はアメリカ政府・軍としては軍事的合理性があったとしても措置があまりにも性急で杜撰、処遇が過酷で劣悪だった日系人の強制収容に孤軍奮闘したフレッド・コレマツさんの命日です。
コレマツさんは1919年にカリフォルニア州オークランドでバラ農園を営む福岡からの移民の両親の4人兄弟の3男として生まれました。そのため「是松豊三郎」と命名されましたが、小学校の教員が上手く呼べないため勝手に「フレッド」を通称にしたのを英語名にしたのです。児童・生徒としては積極的な性格でハイ・スクールではテニス部と水泳部で活躍したため日系人以外の友人も多かったのですが、それでもイタリア系の彼女の両親は「ヨーロッパ人と日系人ではつり合いが取れない」と交際に反対したようです(イタリア人はヨーロッパでは最下級に見られていますが)。ハイ・スクールを終えると大学に進学しましたが、家庭の経済的な理由で働きながら学ぶことになり(野僧と同様)、どちらも行き詰ってしまい3ヶ月で中退して家業を手伝うことになりました。
1940年に成年男子(アメリカは18歳以上)の徴兵が始まるとコレマツさんは資格ができる翌年まで待っって志願書を郵送しようとしましたが、日系人であることを理由に受け付けられませんでした。それでも国防に貢献したいとの思いは強く、溶接工としての職業訓練を受けてオークランドの大型商船=輸送船を建造する造船所に就職しましたが、日米の対立が激化すると一方的に解雇されることが対日開戦までに3回繰り返されました。
1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が「敵となる外国に祖先を持つ移民」を軍司令官の判断で指定地域から退去を命じられる大統領令9066号に署名し、同年5月3日に真珠湾攻撃で太平洋艦隊が壊滅して日本海軍の侵攻を阻止する手段を持たないとの危機感から西部防衛管区司令官のジョン・L・デウィット中将がアメリカの市民権を持つ2世、3世を含む日系人の強制収容所への移動を命じました。これに対してコレマツさんはイタリア系の彼女と対象地域外に逃亡すること決意し、二重瞼に整形してスペイン系ハワイ人と自称して資金を稼ぐために働き始めましたが3週間で見破られてしまい、逮捕されて裁判を受けることになりました。結局、この裁判で有罪になり、その後も「不服従」を罪とする裁判を受け続けたため収容所の他の日系人からは「関わると反逆者と思われる」と敬遠され、コレマツ一家は孤立して収容所生活を送ったようです。そして1944年12月に最高裁判所で「日系人のスパイ活動は事実であり、戦時下では軍事上必要な処置である」との判決を受けるとそれから37年間は沈黙することになりました。
ところが1980年になって民主党のジミー・カーター大統領が民主党のルーズベルト政権が行った第2次世界大戦中の日系人の強制収容の実態調査を命じたことで、コレマツさんも判決の取り消しを求める裁判を起こし、1983年11月10日に北カリフォルニア地方裁判所が1944年の最高裁判決までの全ての判決の無効を宣告しました。
コレマツさんは1998年に民主党のビル・クリントン大統領から大統領自由勲章を送られましたが、9・11以降はイスラム教徒に対する差別に反対し続けていたそうです。
  1. 2022/03/29(火) 15:44:59|
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