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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月31日・国際司法裁判所が日本の調査捕鯨を否定する判決を下した。

2014年の明日3月31日に国際司法裁判所はオーストラリアが日本の調査捕鯨の禁止を求めて提訴した裁判でオーストラリア勝訴=日本敗訴の判決を下しました。
日本のマスコミはオーストラリアがアメリカの資本家から資金提供を受けている反捕鯨団体に母港を提供するなど全面的に支援していることからこの裁判も「動物保護が目的」と断定的に報道し、読者・視聴者を感情的に賛同・共鳴させていましたが(このため「捕鯨は残酷」と言うイメージが広まり、鯨肉の消費量が低迷する原因になった)、オーストラリアは南極条約に加盟していながら自国=オーストラリア大陸の対岸に当たる南極大陸の3分の1を領土、間の南氷洋を領海と主張していて、日本の調査捕鯨は南氷洋を公海とする行為に他ならず、この提訴には国際連合の付属機関である国際司法裁判所に領土的野心を認知させる政治的策謀が絡んでいました。
日本の捕鯨は江戸時代まで網の中に追い込み、勇者が暴れる鯨の背中に乗って銛で心臓を突いて殺す原始的な漁法でしたが、それでも享保年間から幕末までに21700頭を捕獲していて頭数の激減で近海での鯨漁は低迷していきました。そんな中、明治政府は日本の船舶の発達を見ながら遠洋での捕鯨を推奨しましたが当時は冷凍技術が不完全だったので折角の鯨肉は投棄して、世界の海で鯨の大量殺戮を繰り広げた欧米と同様に日本でも普及したランプ用の鯨油を目的にしていました。
ところが敗戦後にアメリカ式の肉食が普及しても豚や牛の増産は中々進まず、そんな中で国民に良質の動物性蛋白質を提供してくれたのは捕鯨船団が南氷洋から持ち返る鯨肉でした。こうして日本は最盛期には7つの捕鯨船団を南氷洋に送り込み、電灯の普及によって鯨油を必要としなくなった欧米の撤退も重なり、世界最大の捕鯨国になったのです。
その一方で地球規模で環境を破壊し、動物を殺戮してきた欧米人が今になって保護活動を指導しているのと同様に自分たちは必要としなくなった「鯨の保護」を主張するようになり、昭和23(1948)年11月10日に国際捕鯨員会=IWCが設立したのです。日本も独立後の昭和26(1951)年4月21日に加盟しましたが、すると「人間並みの知能を持つ鯨(大脳の重量のみの比較、表面積は格段に少ない)を大量に殺戮する残酷な民族」として常に批判の対象=サンドバックになったのです。
さらに日本が自主規制していることは無視して昭和57(1982)年に商業捕鯨の停止決議が採択されると昭和61(1986)年には南氷洋での母船式捕鯨、昭和63(1988)年には太平洋でのミンククジラとマッコウクジラの商業捕鯨が停止されました。
それに対して日本は捕鯨技術を有する唯一の国として鯨の生態を調査する目的の調査捕鯨は継続しましたが、オーストラリアは「調査目的で捕獲=殺害した鯨を食肉加工して国内で販売している」と批判し、2010年5月31日に国際司法裁判所に提訴したのです。
現在、太平洋全域では鯨の急増によって餌になる魚類の減少が顕著で、アジアや太平洋の漁業国では食料資源の枯渇が危惧されていますが、IWCやオーストラリア、国際司法裁判所は何も見解を示していません。
  1. 2022/03/30(水) 14:45:10|
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