昭和36(1961)年4月2日の日曜日に現在も続くNHKの超長寿番組「みんなのうた」が始まりました。この番組は意外にもラジオ時代には放送されておらず、1950年代にテレビが普及して子供たちがCMソングや歌謡番組の流行歌を愛唱するようになったため健全な歌を普及させることを目的に企画されたのだそうです。
母親が保母=保育士だった野僧は同じ年齢のこの番組を胎教・子守唄・音楽教室にして育ち、中学生になっても部活動がない日には保育園で子供に教える歌を仕入れるため視聴と録音を命じられ、高校生になっても日曜日にはオルガンの練習で唄わされる羽目になりました。その反動なのか自分の子供には「みんなのうた」ではなく「ひらけ!ポンキッキ」を見せて一緒に愛唱していました(橘いずみ=周栄良美お姉さんのファンだった)。
1997年までは5分間の放送時間に2曲を紹介していたため長い曲は1番だけになることも多く、ジャンルとしては外国曲に日本語の歌詞と日本の古典的愛唱歌、そしてオリジナル曲の3本立てを2カ月間単位でローテーションさせる形式を取っていましたが、当初は小学校校高学年から中学生を対象にしていたため「健全性」にこだわって「白銀はまねくよ」の「雪の山は恋人」と言う歌詞を「雪の山は友達」に変更して放送しました。このNHK的なこだわりは山口百恵さんの「プレイバックPart2」でも商品名を放送できないと歌謡番組で歌詞に出てくる車名のポルシェを「緑の中を走り抜けていく真っ赤なクルマ」に変更させたことでも発揮されています(ただし、1978年の紅白歌合戦のトリでは「ポルシェ」で唄わせた)。
しかもテレビ番組だけに背景の場面も外国曲なら舞台になっている土地の風景や人々の暮らし、アニメなら1分半の短時間でオチがつくドラマ仕立てになっていました。
そんな「みんなのうた」で最初に流れたのは日本の歌詞・北原白秋さん、作曲・山田耕筰さん作曲の古典的愛唱歌「あわて床屋(ボニージャックス)」とチェコ民謡に中田羽後さんが歌詞をつけた「おお牧場はみどり(東京少年少女合唱団)」でした。その後は前述のジェンルの組み合わせで番組は続きましたが次第にオリジナル曲が増え、小学生だった視聴者が高校生、大学生、社会人になっても生活習慣として見続け、やがて結婚して子供と一緒に見るようになったため歌詞や曲を子供限定ではなく家族向けに進化させ、NHK的に厳選した流行歌や初期の曲をアレンジと歌手を替えてのリバイバルなどの趣向を凝らして人気を維持しています(このままでは高齢者向け懐メロ番組になるのでは)。中でも昭和51(1976)年4月5月に放送された「山口さんちのツトムくん(川橋啓史さん・NHK東京児童合唱団)」や昭和53(1978)年6月から7月の「切手のない手紙(財津和夫さん・チューリップ)」は100万枚を超える大ヒットになりました。この他にも昭和54(1979)年の国際児童年には「ビューティフル・ネーム(ゴダイゴ)、1997年の長野冬季オリンピックでは「WAになっておどろう(AGHATA)」などがありますが、NHK発で250万枚を売り上げた大ヒット曲「団子3兄弟(茂森あゆみさん・速水けんたろうさん)」は「おかあさんといっしょ」です。
- 2022/04/02(土) 15:26:37|
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