ある日、帰宅した田島3佐は唐突に荷造りを始めた。自宅は名寄での満額の寒冷地手当と物価が格段に安いスリランカの海外勤務手当を積み立てた貯金で千葉県内のマンションを買った。本当は松本に家を建てるつもりだったが子供たちの進学・就職には好都合だった。
「また出張なのね」「説明できなくて悪いな」「それが貴方の仕事だもん仕方ないわ」夕食の支度をしながら声を掛けられる度に手伝っている妻は用意している衣類から出張先が海外、それも熱帯なのを察している。しかし、田島3佐は妻にもこの出張を説明できない。妻もスリランカの在外公館警備官として勤務している時、「政府軍と行動する」とだけ説明して出かけると殺気を帯びて帰宅することがあり、その後の新聞で「政府軍が反政府ゲリラの残党を掃討した」と言う記事を読んで夫もゲリラを殺害したことを理解していた。帰国してからも時折、同じ血の気配を感じると翌日の新聞で「不法入国者の変死体が発見された」と言う小さな記事を見つけることがある。おそらく今回も海外で同様の闇の任務を遂行するのだ。
「スリランカの友達とは今でも連絡を取っているのか」「うん、大使館員のラマニさんとは時々メールをやり取りしているわ。あちらは中国から借りた内戦の戦費の返済期限が迫っているから経済が破綻寸前なんだって。昔以上に中国に逆らえなくなったって嘆いているのよ」妻が今日の洗濯物を持ってくると田島3佐は不可解な質問をした。守山で結婚して以来、名寄、松本、スリランカに転属して苦楽を共にしてきた妻はこの質問が出張先を暗示していることを理解した。自衛隊でも秘密に属する任務を担当している組織に所属する隊員は家族に職務内容を一切口にしないため妻が好奇心レベルの疑惑を抱いて職場に電話をかけ、届いた書簡の差し出し人を調べ、携帯電話の使用履歴を勝手に覗くようになることがある。その結果、夫は「国家の秘密を守れない」と言う危機感から自ら命を絶ってしまう悲劇が繰り返されてきた。その点、田島3佐は在外公館警備官時代に大使館員たちの表向きにできない職務の存在を説明し、そのような特殊な立場になった妻の心構えを理解させているので間違いはない。
「だから中国に関わるとロクでもないことになるって言ったんだ。あの頃の日本は政権交代直前で自民党が凋落していたから戦費を援助することができなかった。第2次加倍政権だったら中国の一路一帯戦略を阻止するためと明言して全面的に支援しただろうがな」この説明で任務も納得できた。中国がスリランカに軍事費を提供する見返りに獲得した軍港に配備されている艦艇がインド洋を航行する日本のタンカーを拿捕・攻撃する前にこれを破壊するようだ。田島3佐はスリランカ軍にも強固な人脈を築いているので協力者は確保できる。実は同様の任務を帯びた海上自衛隊の潜水艦数隻も秘かに出航し、インド洋に向かっている。インドの補給支援を受けて活動できるのも加倍政権が構築したQuad(日米豪印戦略対話)の成果だ。
「そろそろ好いか」「うん、好いわ」夕食後、妻が洗い上げを終えると田島3佐はシャワーに誘った。田島3佐は妻と東京で就職した子供たちの前では何も変わらない「好き夫・父親」として振る舞っているが危険な任務に向かう前夜に妻を抱く習慣を作っていた。
「相変らず綺麗だな」「馬鹿、こんなお婆ちゃんに・・・」「本当のお祖母ちゃんになるのは何時かな」一緒に服を脱いでシャワー室に入ると田島3佐は温水を出して温度を確かめながら声をかけた。妻はマンションの妻たちとスポーツ・サークルに通って身体を鍛えているので若々しい体型を維持している。一方、田島3佐の肉体は守山で出会い、初めて抱かれた頃と全く変わらず、鍛え抜かれた鋼のようだ。お互いの身体の観賞を終えると田島3佐が手でボディソープを泡立ててシャワーで濡らした妻の背中を洗い始めた。
「おそらく日本は武力攻撃を受けることになるだろう。それが俺の不在中だったら首都圏を離れてどちらかの実家に帰るか、信用できる知り合いの家へ避難しろ。首都圏に限らず都市部の治安は打つ手がないほど悪化するはずだ。だから迷わず行動しなくちゃあいかん」「それじゃあ私の名古屋の実家も危ないのね」「お前の実家は名古屋と言っても外れの名東区じゃあないか。長久手と大差がない田舎だから大丈夫だ」背中の続きで尻を洗われて妻は軽く身震いしながら答えた。続きは向きを換えさせて乳房を洗いながら愛撫し、田島3佐の分身が捧げ銃したところで交代して口腔性交になる。その後はベッドで決戦だ。
「貴方は昔から定年退官の当日に銃弾に当たって死ぬのが自衛官人生の理想だって言ってるじゃない。もうすぐ定年でしょう。私、今回はそれが恐いの」「それはモリヤ中隊長が教えてくれたパットン大将の言葉だな。モリヤ2佐も定年退官したから俺も続くよ」「お祖父ちゃんにならなくちゃね」田島3佐は閉経になって妊娠の心配がなくなった妻の身体の中で果てた。すると胸で余韻を味わっている妻が珍しく不安げに声をかけてきたが、田島3佐の答えに安堵して互いの念願でオチをつけた。そのモリヤ2佐の曾祖父の青山寛少将は長久手の出身だ。
- 2022/04/05(火) 14:20:16|
- 夜の連続小説9
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