「総理、自衛隊法77条に基づいて防衛出動待機命令を発令します」安全保障理事会で「中国の国連大使が宣戦布告した」と言う情報を受けて浜防衛大臣は石田首相に電話した。このような重大な案件については首相官邸におもむき官房長官を立ち合わせて口頭で伝えるのが常識だが緊急性を優先したのだ。すると石田首相は同じ情報を受けて立野官房長官と面談中だった。
「待て、こちらが防衛出動を発令すれば受けて立つことになってしまう。国連大使と駐米大使に『我が国は憲法で戦争を放棄している』と公式発表するように指示したところだ」浜防衛大臣には石田首相の前に立つ同じ派閥の立野官房長官の苦々しい顔が目に浮かんだ。
「しかし、中国が我が国への懲罰を通告してきた現在の状況は自衛隊法76条1項後段の『我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められると至った事態』に該当します。防出待機命令だけでなく77条2項の防禦施設構築の措置、3項の防衛出動下令前の行動関連措置も発令しなけれなりません。それに政府から都道府県知事の意向を確認して総務大臣と国土交通大臣を交えて4項の国民保護等派遣について打ち合わせる必要があります」「それでは国民生活が大混乱を来してしまう。何事も慎重に進めなければいかん」石田首相の如何にも優等生派閥の長らしい答えに今度は浜防衛大臣が口の中に苦虫を放り込んで噛み潰した。官僚出身者が多いあの派閥は「事勿れ主義」「前例踏襲」「周囲同調」を政策理念にしていて非常事態に対応する能力は欠落している。
「今は非常事態なんですから混乱を来すことは仕方ないでしょう。それを言うなら治安維持についても国家公安委員長と話し合わなければいけません」浜防衛大臣の声が怒気を帯びると受話器から石田首相が失笑したような吐息が聞こえてきた。
「大臣は中国の懲罰と言う言葉を短絡的に武力攻撃と受け止めて過剰反応しているが、経済制裁で制裁を加えるのが国際社会の基本ルールだよ。今、我々が備えなければならないのは中国との貿易が断絶することによる経済的な打撃であって戦争の準備ではない・・・私は君たち山口県人と違って戦争は好きじゃあないんだ」石田首相の皮肉に浜防衛大臣は唖然として返事ができなかった。確かに幕末以降の近現代史で毛利藩は萩の吉田松陰や柳井の殺生僧・月性の「尊皇攘夷」の狂気に洗脳された若手藩士たちが、それまで水戸の脱藩浪士が外国人を標的にしていたテロを開国派・佐幕派の幕臣や知識人に置き換えた天誅を繰り返し、その極悪非道な殺戮に国家存亡の危機を看過した徳川慶喜が投げ出した政権を奪い取ってからは西洋文明の導入に躍起になり、東アジアで唯一の近代的軍隊を保有するようになると日清・日露戦争で大陸に侵出し、そのまま第2次世界大戦にまで突き進み、この国を滅ぼした。その破滅への道を主導したのは山口藩閥が作り上げた陸軍であり、昭和に入ってからも山口県出身の寺内寿一陸軍大臣は2・26事件に恐れをなした政党政治家たちを「陸軍に従わなければクーデターを抑えられない=お前たちも殺される」と脅迫して軍国主義国家を形成し、同じく山口県出身の松岡洋右外務大臣はナチス・ドイツに傾倒・陶酔して満洲事変を調査したリットン調査団の報告を十分に検討することなく国際連盟を脱退した。その意味では毛利藩閥=山口県出身の権力者が77年間でこの国を滅ぼしたのだ。おそらく被爆地・ヒロシマの反戦平和の教育と空気の中で育った石田首相から見れば日米安保条約を全面改定した浜信介首相や安全保障関連法を制定した加倍首相も同類の軍国主義者なのかも知れない。
「それでは総理がウクライナを支援したのは何故ですか」「あれが国際社会の要求だったからだよ。だから私は君のところからはヘルメットや防弾チョッキ、防寒衣くらいしか送らせていない」浜防衛大臣は実兄の加倍首相がこの人物を外務大臣として使っていた理由が判らなくなってきた。名門派閥の長ではあるが所詮は元銀行員であり、外交交渉も万事に損得ずくの銀行の融資の感覚だった。元銀行員でも景気回復の大鉈を奮う財務大臣は盟友の元総理にしたので、お飾りの外務大臣の方が管官房長官が頭越しに指揮するには好都合だっただろう。
「それでも総理と違って私には侵略者から国民を守る職務がありますから、お電話をしたことを法的手続きとして防衛出動待機命令を発令させていただきます。罷免されるなら即座にされないと手遅れになりますよ」「待て待て待て、お前は石田内閣を崩壊させるのか」「失礼」珍しく石田首相が声を荒げて喰い下がったが浜防衛大臣は一方的に電話を切り、そのまま防衛出動待機命令を伝達するために内局と統合幕僚監部に電話をかけて話し中にした。
「浜を何とかできないのか・・・」「浜大臣を指導できたのは亡くなったお兄さんだけでした」その頃、石田首相は同じ派閥の双木外務大臣に電話していた。辞任するように説得を依頼するつもりなのだ。しかし、同じ山口県選出と言うこと以外につながりはなく予想通りに断られた。電話を切った双木外務大臣は逆に国家存亡の危機に果たすべき役割を熟考し始めた。
- 2022/04/07(木) 16:28:03|
- 夜の連続小説9
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