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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月8日・鶴岡八幡宮で白拍子・静が舞いを披露した。

野僧の熟読書「吾妻鏡」によれば文治2(1186)年の明日4月8日に九郎冠者・義経くんの妾の白拍子(=美貌と舞いで売り込む高級娼婦)・静ちゃんが鶴岡八幡宮で頼朝さまや政子さん以下お歴々の前で舞いを披露したそうです。
NHKの大河ドラマを含む源平争乱から鎌倉時代を描いた作品では静ちゃんを義経くんの妻にしていることが多いのですが、実際は今回の「鎌倉殿の13人」に登場した比企の尼の娘の郷(さと)御前が正室で、奥州・平泉にも娘を連れて同行して自害の前に義経くんの手で殺されて、夫婦の墓は平泉花立の千手堂にあります。
静ちゃんについては「吾妻鏡」の他には鎌倉時代に成立した「平家物語」や室町時代の義経くんの風聞伝承記「義経記」にくらいしか記録がありませんが、義経くんが判官贔屓で悲劇のヒーロー扱いされたため静ちゃんも悲劇のヒロインとして全国各地に足跡と称する伝説が残っています。
先ず京都府京丹後市網野町磯が生誕の地とされていて、海が見える丘の上に石碑があり、静神社には本人の遺品や義経くんからの恋文などが社宝として伝承していたそうですが、天明2(1782)年の火災で焼失したようです。
続いて「義経記」によると日照りが続いて干ばつになったため後白河法皇が内裏の神泉苑の池で僧侶100人に祈祷させましたが効験がなく、今度は美貌の白拍子100人に舞わせることにしましたが99人目までは何も起こらなかったものの100人目に静ちゃんが舞うと黒雲が立ち込めてそれから3日間雨が降り、「日本一」の称号を与えられたとあります。また住吉神社での雨乞いの舞を見て義経くんが妾にしたともあります。
そして「吾妻鏡」によれば源行家さんの策謀に引っ掛かった義経くんが鎌倉の源氏の弱体化を図る後白河法皇から頼朝さま追討の宣旨を受けたものの失敗し、逆に手配される立場になると播磨国の尼崎から船で鎮西(九州)へ逃れようとしましたが、暴風で難破して吉野山中に潜み、ここで「足手まといになるから」と捨てられてさまよっているところを捜索に当たっていた僧侶に発見されて京都守護の北条時政さんに引き渡されました(郷御前は山伏に変装して同行しているのでやはり関東の女性は健脚だったようです)。
そして母親と共に鎌倉へ送られて取り調べを受ける中で頼朝さまと政子さんが鶴岡八幡宮に参拝するのに同行させられて社殿で祭神に舞いを奉納したのです。
この時、静ちゃんは「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもかな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と義経くんを思い慕う歌を唄って頼朝さまを激怒させましたが、政子さんが「私が同じ立場なら同じ歌を唄う」ととりなしました。そして「吾妻鏡」は「誠に社壇の壮観、梁塵(観衆)ほとんど動くべし(誰も動かなかった)、上下みな興感(興奮感動)を催す」と絶賛しています。
この時、静ちゃんは妊娠していて頼朝さまは「女児なら助けるが、男児なら殺す」と約束しましたが、生まれたのは男児だったので相模湾に沈めて殺されました。
晩年と最期は伝説が多過ぎて訳が判りませんが、歴史の陰に埋もれて果てたようです。
  1. 2022/04/07(木) 16:29:31|
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