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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月9日・悪役の名優・成田三樹夫の命日

1990年の明日4月9日は悪役でも粗暴さは微塵もなく心理的に主人公を虐げる独特の存在感で絶大な支持(人気?)を集めていた名優・成田三樹夫さんの命日です。
野僧は若い頃、今と全く風貌が違っていて面長で目が細く鼻筋が通っていたため東映任侠映画ファンの小父さんから「眉毛を濃くすれば成田三樹夫に似ているぞ」と言われることがありましたが、成田さんは山形県酒田市の出身なので最上川の上流の血統の野僧に共通した雰囲気があっても不思議はありません。
成田さんは昭和10(1935)年に山形県酒田市で司法省(現在の法務省)の官僚で秋田、旭川、仙台の刑務所長を務めた父親と留守宅で日用品を扱う雑貨店を営んでいた母親の間の4男1女の3男として生まれました。この兄弟はみな優等生で長兄が東京大学、次兄は早稲田大学、そして成田さんは東京大学に進学しています。
大学で演劇サークルに参加していた父親の影響で高校時代に地元の演劇コンクールで芥川龍之介さんの「蜘蛛の糸」を脚色した作品が優秀賞になったことで熱意が湧き、東京大学は「野性味がない、雰囲気が性に合わない」と中退し、山形大学は「演劇に熱中し過ぎて勉強しなかった」と中退すると上京して昭和34(1959)年に俳優座養成所の2000人が応募して40人が採用される難関を突破したのです。同期には中村敦夫さん、山本圭さん、松山英太郎さんがいましたが20歳前後の同期の中で25歳の最年長だったため仲間には入らず1人で横文字の文学書などを読みふけっていることが多かったそうです。
昭和38(1963)年に卒業しても劇団や映画会社から声がかからず自分で市川雷蔵さんや勝新太郎さん、若尾文子さんが活躍している大映に売り込んで大部屋俳優から始めました。その年に舟木一夫さんの大ヒット曲を映画化した「高校三年生」のその他大勢の端役でデビューしましたが、その独特の雰囲気から翌年には映画「殺られる前に殺れ」にギャング役で出演し、ニヒルな悪役として存在感を発揮するようになりました。
野僧が成田さんの出演作品で記憶しているのはNHK大河ドラマ「新平家物語」の藤原頼長さん役(「平清盛」では山本耕史さん)で、権力志向が強い高位の公家の哀れな末路まで見事に演じていました。次は水戸黄門の第3部の柳沢吉保さんが放った隠密の殺し屋・柘植九郎太で毎回失敗しながら挫けないしぶとさを独特の存在感で演じていました。そして映画「柳生一族の陰謀」の千葉真一さんの柳生十兵衛三厳さんに対抗し得る剣豪の公家と言う不思議な設定の烏丸少将文麿さんでお公家さんの装束で古式の太刀で斬り掛かっていく場面は一風変わっていて印象に残っています。
その一方で成田さんは悪役の失敗が笑いを持って受け容れられると次第にコメディ的な演技を加味するようになり、悪役の人間的な一面が感動を呼ぶと意外な人情味で人物の厚みを際立たせて、後半には幅広い支持者を獲得しました。
そんな人気が定着した1989年に胃の外面に発症するスキルス胃癌が発見され、12月に胃の3分の2を切除する手術を受けて3カ月間の入院・闘病生活を送りましたが55歳で静かに亡くなりました。墓所は故郷の酒田市中央西町の曹洞宗・泉流寺にあります。
  1. 2022/04/08(金) 14:40:59|
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