野僧が18年前に20数年間空き家だった古民家を無料で借りて古志庵を結んで以来のつき合いだった野良爺さんが4月8日の灌佛会の昼前に死にました。推定年齢19歳でした。
野僧が無人の古民家に下見に来て扉を開けた途端に蝙蝠の群れが飛び出し、土間には2メートル近い青大将がトグロを巻き、奥から10数匹の成猫と子猫がゾロゾロと列を作って出て行きました。ところが奥の部屋に逃げ遅れた子猫がいたので家主が追い払ったのですが、それがそのまま床下に住みついたのです。それが幼き日の野良爺さんでした。
やがて小庵が黒猫の音子を飼うようになるとその美貌に惚れて侵入を繰り返すようになり、野僧も本気で殴打するようになりました。それでも一途な野良爺さんはウブな音子がイケメンのキジトラの雄猫に口説き落とされて一緒にいるのを遠くから哀しそう(羨ましそう)に見ているストーカーを始めましたが、音子が妊娠すると失恋した野良爺さんは突如として姿を消し、しばらくすると戻ってきてまた消えることを繰り返すようになり、ある日、同じ柄の雌猫を連れて帰ってきて床下で暮らすようになったのです。
与園子と名づけた雌猫は血縁関係と推察しましたが、しばらくすると音子が産んだキジトラの若緒と瓜二つのニャン太郎と名づけた子猫を産み、関係不明の家族の生活が始まりました。そこで湿気が多い床下では可哀想なのでテント式の倉庫に焼却炉として穴を開けたドラム缶を置き、段ボール箱で部屋を作って3匹の棲み家にしたのです。
そんな野良爺さんの幸せな日々も長くは続かず、与園子に再び発情期がくると雄猫が集ってきて野良爺さんと喧嘩を繰り返し、やがて与園子を連れ去ってしまい、ニャン太郎も母を探しに姿を消して、野良爺さんは孤独な1匹猫になってしまいました。
すると再び野良爺さんは姿を消すようになりましたが、ある日、顔半分を喰い千切られる重傷を負って帰り、「顔に大怪我をした野良猫」の噂で小庵から4から5キロ離れた集落まで往復していることが判明したのです。小庵としては人間用の化膿止めの錠剤を砕いて餌に混ぜて与え、消毒液をかけて処置した結果、傷は塞がって皮膚に毛が生えるまで回復しましたが、瞼を喰い千切られたため片眼が閉じられなくなりました。
その後、若緒が事故死した後に野良猫愛護活動家が捨てていった寿来を躾けてくれたため土間限定で家に立ち入ることを許可し、昨年の冬からは土間に段ボール箱で小屋を作って毛布式の床マットを敷いた温かい寝床で過ごしましたが、今年の厳寒は堪えたようで外での用便を嫌うようになったためトイレを作り、食が細くなって急激に体重が減少したため「フガフガフガ」と言う鼻息が聞こえないと心配して見にいくようになっていました。
それでも日差しが温かくなり、庭のあちこちで日向ぼっこを楽しむようになったので安堵していたところ8日に寿来が玄関で怯えたように固まっていたので覗くと朝には庭の角で日向ぼっこしていた野良爺さんが玄関前で倒れ、痙攣しながら荒い息を吐いていたのです。そこで抱えて日陰に移動させ、短時間の所要をすませて見に行くと呼吸は止まっていました。餌を食べに帰ろうとして心不全を起こしたのかも知れません。
晩課で葬儀を勤めて庭前に埋葬しましたが長いつき合いだっただけに喪失感は大きいです。

若かりし頃の野良爺さん

野良爺さんの家族

家族で暮らしたドラム缶を眺める野良爺さん
- 2022/04/10(日) 15:24:06|
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