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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月18日・海洋冒険家・ヘイエルダール博士の命日

2002年の明日4月18日は太平洋の島々に住む人々の往来を検証するため筏のコンティキ号で南アメリカのペルーから南太平洋のトゥアモトゥ諸島まで102日間、約8000キロを漂流したノルウェーの学者で冒険家のトール・ヘイエルダール博士の命日です。
ヘイダール博士は1914年にノルウェー南部のラルヴィクで醸造業を営む家庭に生まれました。母親が宗教上は異端とする声が残っていたチャールズ・ダーウィンの進化論に強い関心をもって学習していたため幼い頃から知識を吸収して動物学を研究するようになり、中でも日本のマムシに近い毒蛇のヨーロッパクサリヘビを飼育していたそうです。
オスロ大学に進学すると動物学と地理を専攻し、同時にポリネシアの文化と歴史を研究するようになって父親の知己だったワイン商人が所蔵するノルウェー随一のポリネシアに関する文献と収集品を調査しました。当時、ポリネシアは世界の未開の大陸を勝手に山分けして太平洋の離島に食指を伸ばしていたヨーロッパでも関心を持たれていて島々に研究者を派遣する現地調査のプロジェクトが立ち上げられるとノルウェーの動物学者の後援を得て参加することになりました。こうしてヘイエルタール博士は1937年に大学を修了すると結婚して間もない妻を伴ってポリネシアのファツ・ビバ島に赴き、生活を共にする中でポリネシア人南アメリカ起源説に思い至ったようです。
帰国後は1940年4月8日に侵攻してきたナチス・ドイツとの祖国防衛戦に従軍し、連合軍が攻勢に転じた1944年からはフィンランド北部での北欧版レジスタンスに参加しています。そうして終戦を迎えるとポリネシアの研究は深化し、イースター島の巨石像を現地調査してそれが南アメリカの巨石文化、中でもペルーの石像に類似していることから南アメリカ起源説を確信するようになりました。しかし、現存する遺物が類似していても立地場所を隔てている距離は埋めようがなく、そのためには原始的な船での渡航が可能であることを証明するしかありませんでした。
そうして中世に南アメリカを侵略したスペイン人が描いた風物画を基にしてバルサ=葦や松、竹、マングローブ、麻縄など全て南アメリカの生産物で建造した長さ約15メートル、幅約6メートルのコンティキ号(インカ帝国の太陽神・ピラコチャの別名)で1947年4月28日に6人の乗組員と1羽のオウムでペルーのカヤオ港から出航したのです。とは言えフンボルト海流は大陸沿いに北上しているため80キロ沖まではペルー海軍の艦艇に曳航され、そこから帆だけを頼りにした航海と言うよりも漂流が始まったのです。それでもアメリカ軍から提供を受けた携行食(それ以外は魚を釣った)や天体で位置を確認する6分儀、アマチュア無線機を積載していました。そうして7月30日に島影を目視し、8月7日にフランス領ポリネシアのトゥアモトゥ諸島のラロイア環礁で座礁しました。
ヘイエルダール博士は1969年と1970年にはアステカとエジプト文明、1977年にもインダスとメソポタミア、エジプト文明の海上交流を検証するため復元船で大西洋横断とペルシャ湾とパキスタン、紅海を巡る漂流を試みましたが大西洋は2度目に成功したものの後者は5カ月後に中東戦争に抗議して紅海の入り口で火を放って炎上させました。
  1. 2022/04/17(日) 14:56:10|
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