自衛隊が中国艦隊を攻撃」「防衛出動は発令されておらず」浜防衛大臣の緊急記者会見は夕刊の締め切りには間に合ったはずだが、電話が不通になっているため記者クラブの新聞記者たちは編集部に事前情報を入られず、日頃からスマート・ホンで同時中継を見ながら質問まで指示している編集部のベテラン記者たちは出処不明の中国側の発表を全面的に採用して記事を作成していた。日本国内が完全なシステム・アウトで通信不能に陥っていても中国本国から在日中国人への情報伝達手段は機能しているようだ。
「戻りました。防衛大臣の緊急記者会見の内容です」そこに会見を終えた若手記者が戻って来た。今日は防衛省だけでなく首相官邸や各省庁、都庁などの記者クラブからも帰って口頭で報告しているので特別な反応はないが、ベテラン記者たちは何故か身体でワープロとしてしか機能していないパソコンの画面を隠し、机に置いてある中国側の発表記事のコピーを裏返した。
「沖縄の海上自衛隊が中国艦隊を撃枕して、その報復に対馬の航空自衛隊が攻撃された事件だな」「大筋はその通りですが、経緯は違います」編集長は前に立った若手記者の妙に気合が入った顔を見上げながら自分が同世代だった頃にされたように話す前に冷笑を浴びせながら腰を折った。この様子では大学時代に新聞社を志望した動機のジャーナリズムが燃え上がっているのかも知れない。しかし、それは現実のマスコミ業界には不要な表向きのプロ意識だ。
「お前も若いから加倍の弟の浜ちゃんの扇動に乗せられたのかな。加倍はロシアがウクライナに侵攻した時にプーチンの友人として抹殺されるはずが、逆に加倍の退陣でプーチンが中国に乗り換えたことが原因にされて人気が高まってしまった。加倍を熱狂的に支持しているのはお前たち若い世代だそうだから危ないな」「加倍の復活を扇動しろとでも言われてきたか」編集長の皮肉に前の席の副編集長も同調した。若手記者が振り返ると編集部に残っているベテラン記者たちは揃って顔を向けて皮肉な笑いを浮かべていた。
「取り敢えずは緊急記者会見の説明をさせて下さい」「慎んで浜ちゃんの言い訳を拝聴することにしよう」編集長は背広の胸ポケットから手帳を取り出してページをめくっている若手記者に皮肉の追い討ちをかけた。どこまでも加倍元首相を憎悪しているらしい。
「今回の防衛行動は本日8時10分過ぎに東シナ海中部を哨戒飛行中の沖縄の海上自衛隊機が奄美群島方向に進行する大型揚陸艦6隻と護衛の戦闘艦10隻の中国艦隊を発見したため海上における警備行動が発令されたんです」「それは初耳だな。官房長官は特に記者会見を開いていないぞ」「海上における警備行動は防衛大臣に発令権があります」若手記者の補足説明に編集長は渋い顔をして机の上の冷めたコーヒーをすすった。
「すると中国空軍の殲ー10戦闘機が飛来したため航空自衛隊が対領空侵犯措置として戦闘機に迎撃させ・・・」「ミサイルで撃墜したんだな」「いいえ、向うがロック・オンしてきたため正当防衛としてミサイルを発射しましたが、中国軍機が転進した時点で自爆させています」中国側の資料では一連の事件を軍事衝突と断定して「自衛隊側が先制攻撃を加えてきた」としている。手順としてはこの説明を聞かなければならないが採用するかは別の話だ。
「続いて海上保安庁の第10管区の巡視船が中国艦隊を日米海軍と誤認して接近すると護衛の戦闘艦が攻撃態勢を取ったため海上自衛隊機が緊急避難としてミサイルを発射して撃沈したんです。それからは巡視船と対潜哨戒機に攻撃行動を取った戦闘艦を撃沈しましたが、これらは海上における警備行動で自衛隊に与えられている警察権の行使に他なりません」「ふーん、それでは自衛隊側の攻撃が正当行為になってしまうじゃないか」「そうです、正当な警察権の行使です」編集長の意外な返事に若手記者は憮然としながら答えた。
「記者会見には他にどこが来ていた」「・・・記者クラブ以外では在京のテレビ局各社と主要な雑誌社、それに外国人記者クラブが数人くらいです」「システム・アウトしているのにどうやって呼んだんだ」「隊員が伝令に走ったそうです」若手記者の説明に背後のベテラン記者たちが嘲笑と感心が入り混じった相槌を打ったのが聞えた。
「テレビ局は放送再開の目途が立っていないが、それが夕方のニュースに間に合ってしまうと夕刊の内容と大きく異なると問題になるな」編集長の思考は社会の木鐸として事実の裏側まで覗き込んで本質を暴露するジャーナリストと言うよりも自己と会社の保身を優先する営業担当の中間管理職のものだった。これで出席者が記者クラブのメンバーだけであれば若手記者の報告は黙殺して中国側の発表の代弁者・宣伝媒体になるのだが、国民が夕刊以上に情報源にしているテレビのニュースとはある程度は内容を整合させなければならない。
「外国人記者の反応はどうだった」「浜大臣の説明は理路整然としていて信頼できると言っていました。中国の発表には真実はないそうです」編集長のコーヒーの後味は異様に苦かった。
- 2022/04/21(木) 15:54:23|
- 夜の連続小説9
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