旭川駐屯地に召集された森田謙作予備2曹はアメリから指向式散弾地雷・クレイモアと共に大量に供与された携帯式地対空誘導弾・ブロックⅠの教育と訓練を受けていた。陸上自衛隊では91式携SAM=広報用愛称・ハンドアローが高射特科の専門部隊ではなく普通科や野戦特科、機甲科などの自隊防空用に配備されているが、作戦準備として装備の共通化を進める陸上総隊の判断で西部・中部両方面隊に集中配備され、北部・東北・東部の各方面隊はブロックⅠに転換されたのだ。このブロックⅠはアメリカ空軍の横田基地で航空自衛隊のCー2輸送機に積み替えて旭川空港に到着し、それを陸上自衛隊のトラックで運んできた。森田予備2曹はその作業にも参加したが、30代半ばになっても牧場暮らしのおかげで体力は衰えていなかった。
「91式とブロックⅠの違いはブロックⅠが諸官たちも現役時代に触ったことがあるスティンガーの改良型で赤外線誘導方式なのに対して91式は赤外線とカメラ画像追尾の併用になっている点だ。ブロックⅠの方がスイッチの位置なんかは類似しているから91式よりも取り扱い易いかも知れないな」教官の2尉は到着して開封したばかりのブロックⅠと91式携SAMを長机に並べて置くと即応予備自衛官たちを周囲に集めて説明を始めた。アメリカのブロックⅠと91式携SAMは誘導方式だけでなく操作が全く異なり、それが意外に難しくスティンガーの経験者でも習熟が必要なのだ。実は91式携SAMは海上・航空自衛隊にも基地防空用に配備されているが、航空自衛隊では基地警備要員に当てる予備自衛官に操作させようとしたものの数日間の集合訓練では習得させられず基地防空隊や第2次世界大戦中の対空機関銃・M55を保有して防空の任務も担っている警備小隊に配備した。したがって海上・航空自衛隊でも同様の教育と訓練が行われているはずだ。
「携SAMの標的はジェットの攻撃機や戦闘機よりもヘリコプターだ。諸官たちが生まれる前のアフガニスタン侵攻がデビュー戦だったがレッドアイでソ連軍のヘリコプターを皆殺しにしたんだ。それで威力を認識した米ソが技術革新と対抗策を競い合って大幅に性能が向上したからウクライナ侵攻でもロシア軍の輸送ヘリを餌食にして侵攻を阻止することに成功した。今回、北海道に侵攻してくれば我々も同じ目に遭わせてやらなければならない」確かにロシア軍が北海道に侵攻してくるには海を渡らなければならず大量の物資を船から陸揚げしてトラックで侵攻部隊に追従するよりも樺太や北方領土の基地でヘリコプターに搭載して空輸する方が迅速で円滑なので当然の戦術選択だ。
「それを言えばロシア軍はソ連時代の空挺師団の多くを維持しているから大型輸送機も標的だぞ。アフガニスタンにチェチェンと南オセチア、シリアにウクライナは地続きだったから空挺作戦はなかったが島国への侵攻なら空自が制空権を失った時点で大々的に実施するはずだ」殺人的な極寒の中の冬季遊撃戦を誇る第2師団の隊員たちは殊更に最精鋭を誇示する第1空挺団や富士教導連隊に対抗意識を持っているため「ロシア軍の空挺部隊を撃墜する」と言う説明に無意識に笑いを浮かべたが、森田予備2曹は照子と結婚して岩手の広橋家の遠い親戚を訪ねた時、雫石上空での空中衝突事故で「血と肉辺の赤い雨が降った」と言う話を聞かされことを思い出して顔をしかめた。いくら戦争とは言え再現したくはない惨状だ。
「ブロックⅠも91式と同様に発射時に弾頭に入力される敵機の情報を基に自動追尾するから射ち放しにできる」「それって普通じゃあないですか」2尉の説明が具体的な操作法に移ると20歳代の予備3曹が困惑したように口を挟んだ。この遠慮のなさは現職と即応予備自衛官の気質の違いだろう。そもそも現職では3曹が2尉の説明に直接反論することが有り得ない。
「最初期のレッドアイは射手が発射機のカメラで敵機を追尾し続けることで誘導していたから身体を晒していなければならなかったんだ。君はそれを知らない世代なんだな」「スティンガーも知りません」予備3曹の返事に隊員たちは自分の経験を思い返したが、部隊では91式携SAMもスティンガーと呼んでいたので確信は持てなかった。陸上自衛隊ではスティンガーに代わり現在も主力になっている91式携SAMは名称の通り1991年に制式化されたがブロック1は翌1992年の採用で、今回の武器供与を報じた一部のマスコミは「旧式の在庫一掃処分に過ぎない」と揶揄しているがこちらの方が新式になる。それでも第2次世界大戦中の骨董品を使っていてアメリカ軍に整備能力を感嘆された時代から見れば大幅な進歩だ。さらにアメリカ軍は91式携SAMと同様の赤外線画像方式で射程距離を8000メートルにまで伸長したブロックⅡの開発に着手したが予算削減で中止してブロックⅠの改良型の採用に留めた。一方、イギリス軍のスターストリークやスウェーデン軍のRBS70(車載・据え付き式)はレーザー誘導方式なのでフレアなどの疑似赤外線に対抗できると言われているが日本の防衛装備品=アメリカの兵器開発に関する情報は現場まで漏れてこない。
- 2022/04/28(木) 14:27:13|
- 夜の連続小説9
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