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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

確かにロシアは北方領土を「不法占拠」しているが・・・?

岸田文雄内閣=林芳正外務大臣になって初めての2022年版外交青書が公表されましたが、北方領土については前回の「ロシアとの関係を重視する」と言う文言を削除して「日本固有の領土であるが現在ロシアに不法占拠されている」「返還の展望を語れる状況にはない」と明記し、小泉政権下の2003年版以来の「不法占拠」、野田民主党政権下の2011年版以来の「日本固有の領土」と言う表現が復活しました。
千島は古来、アイヌ民族だけが居住していました。鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅亡させた後に甲斐源氏の武田氏が東北の支配を命じられたところに同族の武田信広さんが舞い込み、津軽を領有する安東氏の討伐を命じたところが抱き込まれて蝦夷地=北海道に渡り、江戸時代まで居住可能な地域をアイヌから奪いながら米が獲れない1万石格の松前藩になったのです。江戸の幕府は蝦夷地には関心を持ちませんでしたが、開明的な老中・田沼意次さまは帝政ロシアがシベリアを超えて日本海やオホーツク海にまで進出している一方で松前藩がアイヌを迫害し、過酷な搾取を行っていることを知り、実情調査に幕臣を派遣したのです。その1人である近藤重蔵くんが寛政2(1790)年に択捉島に渡り、最北端の地に「大日本恵土呂府」と日本領を宣言する木柱を建てたことで国後・択捉・歯舞・色丹島は千島列島とは別の日本固有の領土となりました。その後、安政2(1855)年の日露和親条約によって国境線は択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に引かれ、樺太と千島は日露両国の共有地になっていましたが、明治8(1875)年に千島を日本領、樺太をロシア領と確定する樺太・千島交換条約が締結され(明治32=1899年の北海道旧土人法はアイヌ人の日本人化を進める必要から制定された)、さらに日露戦争でロシアが停戦交渉に応じることを表明した後に長岡外史中将の策謀で日本軍が占領した北緯48度以南の樺太が講和条約で割譲されるなどの紆余曲折を経て、最終的には昭和20(1945)年の明日8月18日に千島列島の最東端にある占守島(しゅむしゅとう)をソ連軍が攻撃し、留萌市と釧路市を結ぶ線よりも先の北海道の奪取を戦略目標に侵攻して択捉・国後・歯舞・色丹島までを占領して現在に至っています。
この経緯を見ると千島の攻撃と占領自体は破棄に1年前の事前通告を相互に課していた「日ソ不可侵条約」には違反していても9月2日の降伏文書への調印前なので国際法上の違法行為とは言い切れませんが、ポツダム会議においてソ連が獲得していた「保障占領地域(休戦・降服・講和までに占領する地域で目的が達成された時点で撤退する)」を明文した規約があればこちらにも違反します。問題なのは戦勝国として占領を継続してきたソ連が崩壊して国家体制が断絶したにも関わらずロシアが独断で占領を継続し、領有を主張するようになったことで「不法占拠しているのは現在のロシア」と言うことになります。
しかし、日本にとってさらに悪質な不法占拠を受けているのは戦前までは日韓の共有地としていた日本海の島根県・竹島で、日本が占領下にあった1952年1月18日に李承晩政権が「隣接海洋に対する主権宣言」を発表して以降、不法占領を実効支配として70年間が過ぎているのです。
  1. 2022/05/03(火) 15:24:39|
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