fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月7日・飛行船・ヒンデンブルグ号の爆発墜落事故

1937年の明日5月7日(日本とドイツの月日=現地月日は5月6日夜)にアメリカのニューヨーク近郊のニュージャージー州マンチェスターのレイクハースト海軍基地でドイツの硬式大型飛行船・ヒンデンブルグ号が爆発・炎上・墜落して乗員・乗客35名(搭乗していたのは97名)と地上作業員1名が死亡する事故が発生しました。
硬式飛行船は従来の軟式飛行船がゴム製のガス袋を船体としていたため変形しやすく下部に装着した船室が大きく揺れ、また空気抵抗が大きいため高速度を出すことが難しく実用性が乏しかったのに対してアルミニウム合金で骨格を組み、ワイヤーで固定した上に防水塗料を塗った布で船体を作り、その隙間にガス袋を膨らませて浮力を確保していたため流線型の巨大な船体で高速度も発揮できました。参考までにヒンデンブルグ号は全長245メートル(戦艦大和の全長よりも18メートル短いだけ)、高さ41メートル、最高速度135キロ、乗員40から61名、乗客50から72名でした。ただし、悪天候には弱く、第1次世界大戦中には119隻建造されて偵察や爆撃に使用されましたが損失としては複葉の戦闘機による撃墜よりも悪天候による遭難の方が多数を占めました。
第1次世界大戦後、敗戦国になったドイツは飛行船王国の復活に威信をかけて1928年に硬式大型飛行船・ツェッペリン伯号を建造して世界一周を達成しましたが日本では青島で接収した大型飛行船格納庫がある茨城県の霞ケ浦海軍飛行場、現在の土浦市に寄っています。そして1937年に建造されたヒンデンブルグ号はフランクフルトとブラジルのリオネジャネイロ間の大西洋横断航路に続いて前述のレイクハースト海軍基地との往復路線に就航しました。この航路は料金が割高でも貨客船では5日から7日かかるところを2日半で到着できることで人気を集め、この時は10回目の飛行でした。
この時の飛行は向かい風になったため予定よりも8時間遅れ、さらに雷雨の影響で上空待機して12時間遅れで着陸しようとしたところ突如尾翼付近が爆発して空中で炎上しながら墜落して大炎上したのです。原因としては後部から漏れていた浮力の水素ガスに強風と布製の船体で発生した静電気が引火したとする説が有力ですが、当時のドイツはナチス政権だっただけに謀略説も根強く多くの小説や映画になっています。
実は野僧も日立電器が広告用に買収したドイツ製の中古軟式飛行船・キドカラー号が岐阜県各務原市の航空自衛隊岐阜基地に同居する川崎重工業で組み立て、広告を施し、ガスを注入して昭和43(1968)年9月12日に東海道線沿いに茨城県竜ケ崎市まで初飛行したのを岡崎市の矢作南小学校で見ましたが、キドカラー号は全長49メートル、高さ18メートルでも大きく見え、キドカラーのCMソングを流しながら巡航速度65キロでノンビリ飛んでいる姿は何とも言えない味がありました。ちなみにキドカラー号は昭和44(1969)年4月4日に全国宣伝飛行の途中で着陸した徳島市津田海岸で夜10時頃から瞬間風速30メートルの暴風に見舞われ、固定ワイヤーの1本が切断して暴れ回ったためヘリウム・ガスを抜いて押さえ、2度と飛ぶことはありませんでした。その後、キドカラー号はSL型の宣伝列車になりました。
  1. 2022/05/06(金) 14:09:00|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ117 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ116>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7637-12820692
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)