東京での銃撃戦のニュースは速報で全国を駆け巡ったが、地方では若者の大半が都市部に流出している穴埋めの労働力として多くの中国人を受け入れているためこの凶悪事件に対処する術(すべ)がなかった。それでも各道府県知事は主要幹部たちと地域が抱える問題の協議を始めていた。この対応の早さと真剣味は防衛出動待機命令が発令された時とは全く違う。
「六ヶ所村を襲撃されたらどうしましょう」青森県では下北半島の太平洋岸にある日本原燃の六ケ所再処理工場が最大の懸案だった。警察庁は中国と韓国からの武力攻撃を想定していたため警視庁機動隊への増援は北海道と東北5県、北関東3県、甲信越4県から派遣させていて青森県警でも主力は出払っている。さらに六ヶ所村再処理工場を保有している日本原燃は非上場の株式会社であって法的には民間の工場に過ぎないため守衛には自衛隊の佐官クラス(連隊長や艦長が揃っている)のOBを採用しているが銃器は装備できず、通常の警棒よりも長い警杖を使用できることが警察官僚の譲歩した特定施設の警備力の強化なのだ(空港も同様)。
「昔から中国は六ヶ所村が核兵器製造工場だって言い掛かりをつけていますが」「茨城の東海村だと核爆発しだ時に東京にも被害が及ぶからワザワザ青森に作ったって言うんだろう。こっちは金さ目当てだったのに勝手なごとを言うもんだ」東北弁が出て議論が妙に長閑(のどか)になった。「東北弁で恐喝はできない」と言われているが真剣な議論にも向かないようだ。
「機動隊に警備させられないとなると普通の巡査を集めるしかないですね」「それじゃあ治安の維持だけじゃなくて防犯にまで影響が出ます。さっきテレビで総理が中国は在日の連中に拳銃を配ったって言ったでしょう」岸田首相は国会のロビーで囲み取材を受け、国会中継に来ていた国営放送のカメラの前で「中国が不法に持ち込んだ拳銃と弾薬を全国の在日中国人に配った可能性が極めて高い」と明言した。これは国民に発した警告であり、各地方自治体と警察に対する厳戒態勢と強制措置の指令でもあった。
「津軽では戦後間もなく朝鮮人が五所川原事件や木造警察署襲撃事件さ起こしたが、あの時は進駐軍が出動して鎮圧したんだ。だったら今回も」「三沢の米軍に警備させれば良いんだな」この主要幹部の問答は的を外した。五所川原事件は昭和23年、木造警察署襲撃事件は昭和27年に戦時中に日本人の農業の担い手が徴兵されて生産量が大幅に低下したため朝鮮半島で公募して移住させた小作人たちが起こした事件だが、当時の日本は占領下にあったから進駐軍が出動したのであって現在の在日アメリカ軍とは役割が違う。
「それを言うなら自衛隊だろう、自衛隊には知事が出動を頼むって方法もあったはずだ」「要請による治安出動だね。あれは県公安委員会と協議して総理大臣に要請するんだったな。しかし、これまでに要請した知事はいるんだろうか」ここで聞き役に回っていた知事が結論を出した。知事は就任時に職員が作成した職務権限の一覧表を確認し、自衛隊に関しては災害派遣を要請する権限と手続きは熟読したが、その前にあった治安出動は素通りしていた。それでも必要な知識が頭に残っているのは立場が為せる技だ。
「政府が各県に出動要請するように強要したんじゃあないですか」「事件が起きたのは東京都内でしょう。どうして遠方の東北の県知事が揃って要請するんですか」石田首相は宮城県を除く東北各県の知事からの要請を受け、全自衛隊に治安出動を命じた。自衛隊法第81条では「都道府県知事は治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合には部隊等の出動を要請することができる」と規定しているため危険が予見される段階での要請と発令は職権乱用であり、緊急記者会見でも政府が防衛出動の代わりに自衛隊に武力行使する権限を与えるため東北各県に要請を強要したのではないかとの疑惑追及になっている。
「東北各県警は国会会期中の議事堂周辺の警備の支援のため機動隊を警視庁に派遣していますから治安の維持が困難なんです。今回の事件でもデモ隊の半数が拳銃と弾丸を所持していたことから武力を以って反日暴動を生起させる危険性が極めて高いと考えるのが為政者としての見識でしょう」「宮城県知事には為政者としての資質が欠落していると言うんですか」「宮城県は仙台市警を合わせれば県警の規模が大きく他の東北各県とは事情が違います」石田首相は巧妙に逃げたが実際は東北地方では最大で唯一の政令指定都市の仙台市を有する宮城県は東京のマスコミも盛んに報道するため世論が同化する傾向があり、大震災の災害派遣で反自衛隊の活動家は大人しくなっても治安出動の要請には慎重にならざるを得ないようだ。
「したがって本日から自衛隊には警察と同等の職務権限が与えられます」この宣言に記者席では何故か舌打ちが起こったが、石田首相は硬い表情で前を直視していた。防衛出動では戦争法に違反しない行為は全て用いられても治安出動では法の枠内でしか行動できない。つまり格闘技の試合と衆目環視での喧嘩の違いがある。これが日本の限界なのを噛み締めていたのだ。
- 2022/05/07(土) 15:31:39|
- 夜の連続小説9
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