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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ますます理解不能になった護憲派の論理

今年の憲法記念日は日本国憲法が施行されて75周年と言うことで本来であれば護憲派が主導権を握って大々的に祝賀行事を開催したはずですが、それに水を差すどころか北極海の氷水を浴びせるようにソ連崩壊後に国際連合の常任理事国の座を乗っ取った新・帝政ロシアがウクライナに軍事侵攻した上、北方領土で弾道ミサイルの発射訓練を実施して日本人に広く現実の脅威を実感させて日本国憲法の前文にある「日本国民は恒久平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と言う敗戦直後の厭戦気分の中で憲法を制定する前提を根底から崩壊させてくれました。
ところが護憲派は憲法記念日に開催した集会でこの事態を「平和憲法の危機」と評価して主催者や来賓は「平和憲法があるから日本は安全だ」「国際社会に平和憲法を広めることが日本の務めだ」と例年にも増して力を入れた主張を弄した後、「あくまでも平和憲法を守り抜かなければならない」と参加者に賛同を強要したようです。しかし、新聞やテレビのインタビューを受けた老若男女の参加者たちは「言っていることが極端過ぎて現実の問題とは思えなかった」「平和憲法の理想を守るために具体的にどのような行動を取るべきなのかを聞きたかった」「毎年参加しているがこんなに疲れた集会は初めてだ」と白けていて完全に逆効果だったようです。
そもそも護憲派と称する売国団体・活動家は第9条「戦争の放棄・軍備および交戦権の否認」の「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と「2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」でも2項だけを丸暗記していますが、その政治的意図は日本の軍事力をでき得れば憲法の条文のように放棄、少なくとも極力弱体化してこの世の理想郷と信じるマルクス主義の盟主・ソビエト連邦とそれに代わってアジアに花開いた共産党中国の軍隊を招き入れることであり、護憲派の「反戦平和」運動の実態は「反安保反自衛隊」であって、それは東アジアで絶大な軍事力を保有するようになった共産党中国や核実験と弾道ミサイツの開発と実戦配備によって核の脅威を与えている北朝鮮に対する批判を全く聞かないことでも明らかです。
野僧は航空自衛官として現実のソ連軍の脅威に対峙してきましたが、日本的法制史に則った護憲派です。つまり憲法はかつての大宝律令と同様に国家の理想を掲げる不磨の大典、日本的文化遺産として尊重しながらも政治的には気にする程度で現実を優先して、独立に際して軍隊でも戦力でもない自衛隊を創設したように今後も非常事態法などを制定して国家としての体裁を整えていくべきです。
  1. 2022/05/07(土) 15:33:22|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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