5月10日は2007年に日本地質学会や日本応用地質学会、日本情報地質学会、日本古生物学会、資源地質学会、産業総合研究所地質調査総合センターなどの地質に関係する組織と学会が制定した「地質の日」です。
野僧は小学生の頃、岩石採取が趣味だったので「地質」の記念日があっても違和感はありませんが、岩石に関心がない一般人は「ちしつのひ」を「痔疾(じしつ)の日」と聞き間違えるかも知れません。それでも最近はウォシュレットの普及に比例して痔疾の患者が激減しているそうなので、矢鱈に増えているクダラナイことを細部まで知り尽くしているマニア、オタクのための「知悉(ちしつ)の日」の方がありそうです。
「地質の日」は明治5(1972)年から北海道開拓使として道内の、明治9(1876)年から明治14(1881)年までは工部省の招請外国人技術者として全国の地質調査を行ったアメリカ人の鉱山学者・ベンジャミン・スミス・ライマン(日本語名・来曼)さんが明治9(1876)年の5月10日に200万分の1の地図を色分けした「日本蝦夷地質要略之図」を刊行したことと明治11(1978)年の5月10日に地質を専門に担当する内務省地理局地質課が創設されたことに由来します。
明治初期=19世紀の地質学はライマンさんの専門分野が鉱山学と分類されていたことでも明らかなように「鉱山探し」が中心でした。日本でも平安時代から「山師」と呼ばれる金山や銀山、銅山などを見つける専門家が全国各地で活躍しましたが、後に投機屋や詐欺師の別称になったように的中率は必ずしも高くはなく、江戸時代中期の蘭学者・平賀源内さんが足尾銅山や秋田の阿仁銅山などを調査した実績は驚異的でしたからやはり西洋式鉱山学の方が一歩先んじていたようです。そして明治末から大正、昭和=20世紀に入ると今では童話作家と詩人=文学者になっている宮沢賢治さんは盛岡高等農業学校で地質学を学び、土壌に合った農作物の選定と稲作に適合するように岩手県の酸性が強い土壌の性質を変える石灰岩採掘事業に参画するなど地質学が農業にも取り入れられるようになっていきました。そして現代では考古学や古生物学によって化石になった生物が生息した古代の特定や環境を推定するための調査・研究が発展し、地質学の知見の幅を広げ、奥を深める結果をもたらせています。さらに原子力発電所の建設場所の選定基準に活断層の存在の有無が盛り込まれたことで地質学とは似て非なる地層の研究にも行政を含む社会全体の関心が集まるようになり、その波及効果で地質学も急速に発展しています。
野僧が小学校の頃の岩石採取は始め同好の友人と河原で拾った小石を図鑑で火成岩と堆積岩に分類して最終的に種類を特定するまで調べ、続いて川の上流域の山に出かけて河原で見つけた小石と同じ岩石を探し、それを持ち帰って再度比較して種類が一致すれば川を流れて運ばれて来る行程を想像して楽しみました。また河原で持ち上げられる限界の砂岩などを落として割ると貝などの化石が出てくることがあり、それも採取・収集しましたがこれは考古学や古生物学です。野僧は基本的に理数系は苦手ですが地質学を含む地学、生物、天文学だけは極めて得意だったのは何が違うのでしょうか。
- 2022/05/10(火) 13:58:08|
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