明日5月16日は江戸時代中期に出版されたらしい「艶話枕筥(つやばなしまくらばこ)」で「古くからの伝承」として紹介されていて、それを江戸参勤で知った伊予・松山藩士の日下部伊織維岳さんが文化年間から天保4年に記した随筆「古今記聞」でも取り上げている(=全国に広まっていた)性交禁忌の日です。
現在、「艶話枕筥」は原本や書写本の存在だけでなく内容の伝承も確認でませんが、これは天保の改革当時の南町奉行・鳥居耀蔵(敬称不要)が風紀の取り締まりで行った裕福な商人に化けた配下に高額で禁制本を購入する話を持ち掛けさせ、売った店の商品を根こそぎ押収・消却した上で取り潰し、町人に化けて立ち話に加わり、幕政批判も摘発した執拗で陰湿な囮捜査の結果かも知れません。
その一方で「艶話枕筥」は平安時代に医術を以って宮中に仕えた公家の丹波康頼さんが天皇に献納した著書「医心方」の内容を引用・踏襲していると言う学説もあり、そうなるとこの禁忌も単なる下ネタではなく本当に古くからの教訓と言うことになります。
そんな興味深くても謎に包まれた性交禁忌の数少ない推定材料の日下部さんの「古今記聞」の記述内容は「一、五月十六日の日夜とも淫事をかたく慎むべき事也。或(あるいは)、人知らず淫行ありしか果て翌年死去也。庚申論に右の夜淫事あれハ夫婦とも三年の内ニ死する也」と言う伝承の説明です。然もこの禁忌は夫婦も対象になり、破った者が死ぬのは翌年と三年以内が併記されていて出典は庚申論になっています。
夫婦が対象になると男性の浮気の戒めと言う教訓ではなくなり、死ぬのが翌年と三年以内となると腹上死ではなく忘れた頃に当たる罰(ばち)のようです。さらに庚申と言うのは運気が60周期で巡ってくるとする陰陽五行の1つですから同様の禁忌の日も60日に1回巡ってこなければならず、5月16日に特定する根拠が判らなくなります。
この他に5月16日を特定な禁忌日にしているのは武家の作法として伝承されていた「往亡日」で、こちらは「戦さで軍を進めると滅びる」と言う出陣・進撃の禁忌日です。
この禁忌を守るか否かは男にとって性行為に生命を賭けるほどの魅力があるかですが、昔から男と言う生物は女性の合意がない性行為の強制が犯罪であることを知っていても強姦し、女性と関係を持つためならば出費や労力を惜しまず(それを逆利用する水商売の女性もいる)、野僧もそれで身を滅ぼした人間を少なからず知っています。
堅物だった野僧が女性を知ったのは晩生(おくて)な方だと思いますが(高校時代に先輩から「私が男にして上げるから家に遊びにおいで」と誘われたことがありましたが勇気がありませんでした)、沖縄に赴任してからは本土の観光客を相手に快楽を満喫しながら、愛する女性とは清く正しく美しい交際を続けていました。
しかし、心から愛していた彼女=亡き妻を抱いた=生命が1つになった感激はそのまま死んでも悔いはなく、仮に5月16日の禁忌を知っていてもその日に彼女が受け入れてくれれば迷うことなく抱いたでしょう(私たちの場合、6月25日だった)。その意味ではこの禁忌を守って5月16日の性交を避けた人がどれ程いたのかに興味が湧きます。
- 2022/05/15(日) 15:32:55|
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