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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月20日・「森林(もり)の日」

明日5月20日は「森林は木が5つ、画数が20画だから」と制定された「森林の日」です。制定したのは村名に「美」が入る全国の村が1989年から各村持ち回りで「全国美しい村サミット」を開催し、1999年に結成した「美し村(うましさと)連邦」ですが、野僧は個人的に「もりの日」と言う名称には嫌悪感を覚えるので公的機関の地方自治体としてはやはり「森林」は正しく「しんりん」と読んでもらいたかったです。
加盟していたのは北から茨城県美和村、茨城県美浦村、長野県美麻村、岐阜県美並村、三重県美里村、三重県美杉村、和歌山県美山村、岡山県美甘村、徳島県美郷村、愛媛県美川村の10箇村でしたが平成の大合併で茨城県美浦村を除く全村が消滅したため2003年に茨城県美和村で最後のサミットが開かれ、「美し村連邦」は解散しました。
唯一残った茨城県美浦村は県内では原子力発電用の核燃料製造の中間過程を請け負っていたJCOが臨界事故を起こしたことで有名になった東海村と2ヶ村だけになっています。
一方、消滅した茨城県美和村は霞ケ浦沿岸だった美浦村とは逆に県の北部の山地に位置し、現在は常陸大宮市に吸収されています。続いて長野県美麻村は北アルプスの麓で信濃川の上流・犀川の流域です。古来、良質な麻の産地だったことに由来する村名でしたが大町市に吸収されました。岐阜県美並村は美濃平野の北辺、飛騨高地の南端に位置し、現在は郡上郡7町村が合併して郡上市になっています。三重県美里村は航空自衛隊第1警戒隊が所在する笠取山=海抜842メートルの北斜面を有する山村でしたが(分屯基地の住所は久居市榊原町)、広島県ではない安芸郡と一志郡の9箇町村が津市に吸収される形で合併しました。三重県美杉村も同じく津市に吸収されましたが山で隔てられていた太郎生地区は名張川の流域であることもあり、古くから伊賀の名張市との結びつきが強く住民は分村合併を要求しましたが津市議会と美杉村議会が否決したため実現しませんでした(愛知県豊川市や山口県下関市でも同様の事態を目撃しましたが中央官庁にとって住民感情などは無視しても構わない些末事のようです)。和歌山県美山村は紀伊半島の最南端に位置し、村域の大半は山地で耕作地は少なかったため山以外に売り出すものがなくこの村名になったようです。現在は川辺町と中津村と合併して日高川市になっています。岡山県美甘村(みかもそん)は古くから中国山地を抜けて山陽と山陰を結ぶ交通の要衝でしたが、山村だったため発展からは阻害され、とうとう平成の大合併に飲み込まれて真庭市になり、平安時代初期の文献にも記載がある美甘の地名は大字になってしまいました。徳島県美郷村は吉野川の支流・川田川の流域で鴨島町、川島町、山川町と合併して吉野川市になっています。そして最後の愛媛県美川村は四国山地に48ヶ所の集落が点在するだけの村ですが、村内で面河川と久万川が合流して仁淀川になることから3つの川で美川と命名したようです。こちらは市ではなく上浮穴郡4箇町村の合併で久万高原町になりました。
それにしても平成の大合併は当地を含めて過疎だった村から独立自尊の気概を奪い、境界線を破壊したことで消滅に追い込んだだけでした。平成の30年間で劣化した中央官僚の「小事を追って大局を見失う」愚策の最たるものでしょう。
  1. 2022/05/19(木) 14:24:41|
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