昭和50(1975)年の明日5月30日に愛知県豊橋市が「ごみゼロ」の語呂合わせから「530」と命名した環境美化運動を始めました。
野僧はこの年には豊橋市に隣接する現世の三悪道に住んでいた上、昭和52(1977)年に進学した蒲郡高校では生徒会が協賛していため経緯は何度も詳しく聞いていますが、言い出しっ屁は豊橋市山岳会だそうで(蒲郡高校の教員も複数加盟していた)、他県の同様の自然環境や景観を知っている者には「ショボイ」としか言いようがない石巻山石灰岩地植物群落(海抜358メートルの石巻山の周囲の石灰質の斜面にある雑木林)や葦毛湿原(静岡県湖西市との市境の多米峠付近にある5ヘクタールばかりの湿原)、嵩山(すせ)の蛇穴(浜松市三ケ日区との市境の本坂峠にある深さ50メートルの鍾乳洞)などに自然歩道が整備されたため観光客が増加して空き缶などの投げ捨て、置き去りが目に余るようになり、山岳会の会長が主宰している豊橋自然歩道推進協議会がこの年の5月18日に「自分のゴミは自分で持ち返しましょう」を合言葉とする「530運動」を豊橋市に提唱して、5月30日に協議会独自にゴミ収集活動を実施し、その模様がテレビのローカル・ニュースで紹介されました。するとローカル・ニュースが放送された東海3県で賛同する声が起こり、同年7月には豊橋市に530運動推進連絡会が設立され、11月には第1回の一斉の530運動が開催されましたが、この頃は5月30日の日付の語呂合わせではなく「ごみゼロ」と言う行為に数字を当てはめる運動と理解されていたようで、現在も日付に関係なく「530」運動は実施されています。一方、蒲郡高校の「530運動」は戦前からの伝統行事だった毎月第1週土曜日の駅前の清掃奉仕の後追いだったため校内では「土曜駅掃除」の呼称を堅持しました。
その後は「530=ごみゼロ」と言う呼称が明解で親しみやすかったこともあって急速に全国に広まり、昭和53(1978)年3月6日には全国34都道府県に530運動連絡会が設置され、毎年5月30日や直近の日曜日を「530運動」の日に定めてゴミ拾いなどの清掃活動を開催するようになりました。
ところがこのように全国に広まり定着した市民運動が地方の発祥であることを許さないのが東京で、530運動よりも前に葦毛湿原よりもはるかに知名度が高く、規模も大きい尾瀬湿原でも観光客のゴミの投げ捨てが問題になり、豊橋市の530運動は無視した環境庁(当時)や群馬県(尾瀬湿原は新潟県と福島県にも広がっているが関東地方の専有物にしたいらしい)と同県片品村、地権者の東京電力、尾瀬保護財団が昭和47(1972)年に始めた「ごみ持ち帰り運動」を発祥として豊橋市の530運動は模倣・盗作扱いして、。とどめに1993年に宮沢喜一政権が制定した環境基本法で6月5日を「環境の日」、6月を環境月間にしたことで5月30日の日付の「530」運動を抹殺しようとしています。
それでも全国的には「ごみ持ち帰り運動」の方が「530運動」に吸収されているらしく、環境省の命令により市役所の環境課などが主催する清掃奉仕行事は雨が多い6月ではなく5月30日に開催されることが多いようです。
- 2022/05/28(土) 15:27:10|
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