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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月1日・21世紀最初のミステリー?ネパール王族殺害事件

21世紀が始まって半年後の明日2001年6月1日に当時のネパール王国=現在のネパール連邦共和国のナラヤンヒティ王宮で月に1度の定例晩餐会の席でビレンドラ国王・アイシュワリヤ王妃以下の王族9人が殺害され、4名が負傷する惨事が起こりましたが、数多くの謎と疑惑が飛び交う中で王制が消滅した現在も真相は明らかになっていません。
事件についてネパール政府は定期晩餐会の席で他の王国では王太子に相当する地位に在った長男(ネパール王家にこの制度はなかった)の「ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ王子が結婚を希望する女性が祖先は同じでも王家と政治的に敵対関係にあった将軍の末裔であることで反対され、激昂した国王夫妻から王位継承権の剝脱を宣告されたため泥酔していた王子が銃を乱射し、事件後に自死した」とする国王の次々弟の娘婿で晩餐会に同席して生き残った陸軍大佐の証言を公式発表し、現在も維持しています。
しかし、王子は右利きだったにも関わらず拳銃弾が左後側頭部から右前側頭部に貫通していて自死としては極めて不自然であり、泥酔していたはずなのに3日間の生存中に行った血液検査でアルコホール分が検出されなかったこと。さらに使用した銃器は発見された弾丸からMー16A2小銃が47発、ヘッケラー・ウント・コックMP5短機関銃が29発とされているものの泥酔状態で2種類の銃を使い分け、広い晩餐会場を逃げまどい、身を隠す人たちを射殺することが可能なのか。さらに犯行現場では前述の小銃と短機関銃の他に未使用の散弾銃と拳銃が発見されていて王宮周辺に配置されていた警備兵が誰も異変に気づかず通報しなかったことが疑惑を決定的にしています。
そこで浮かび上がってくるのが国王の次弟で2008年に自らの手で王制を廃止することになったギャネンドラ・ビール・ビクラム・デーブ王子の策謀説です。ギャネンドラ王子は地方視察に出ていて王家としては重要な行事である晩餐会を欠席していますが、事件の発生時間には首都にある別荘に到着していました。さらに晩餐会に出席していたギャネンドラ王子の妻は足に軽傷を負ったものの息子は前述の大佐の証言で「女性たちの盾になってかばった」と英雄的行動を讃えられながらも無傷で、実行犯が人物を選んで殺害していった=2人は避けたとしか考えられません。
共産党中国はインドの緩衝国であるネパールを手中に収めようと常套手段の若者の毛沢東思想への洗脳を進めていましたが、ビレンドラ国王は独自の佛教的民主化を推進して国民の絶大な支持を集めていました。一方、ギャネンドラ王子は表向きこそ親インド・反共産党中国の立場でしたが陰では共産党中国から国王と長男を抹殺すれば王位に即位させると唆され、「長男に手懐けていた王宮警備隊を指揮させてクーデターを起こした」と言う噂が事件直後からネパール国内で広まっていました。
その結果、ディペンドラ王子が3日間の在位で死亡して計画通りに即位しましたがビデンドラ国王を敬慕していた国民の反発は強く、この混乱に乗じて共産党中国も王制打倒に方針転換したため2001年に内戦が勃発するとこれを武力で弾圧したことで国民の支持を完全に失い、2008年5月28日に王制は廃止され共和制に移行しました。
  1. 2022/05/31(火) 14:28:57|
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