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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月16日・佐藤首相の国民葬での三木首相殴打事件

昭和50(1975)年の明日6月16日に佐藤栄作首相の国民葬が催される日本武道館の正面玄関で遺骨の到着を待っていた三木武夫首相が歩み寄った右翼団体・大日本愛国党の書記長(当時34歳)に顔面を2発殴られる事件が発生しました。
この一部始終は遺骨の到着を中継していたテレビ局のカメラが撮影していて礼装を着た犯人が制止されることなく大股で歩み寄り、三木首相の正面で立ち止まると拳を握って思い切り殴りつけて2発目で上半身から崩れ落ち、黒縁の眼鏡が吹き飛んだ映像がニュースでも放送されました。ところが映像を見ながら解説者は駐車場に整列している陸上自衛隊第302保安中隊(当時)の特別儀仗隊が微動だしないのを差して「自衛隊は何もしなかったんですね」「やっぱり玩具の兵隊だ」と揶揄していました。確かに儀仗隊の本来の任務は儀礼会場に人の盾を構築して要人を警護することですからこの揶揄も間違いではないのですが、実際の特別儀仗隊は姿勢どころか表情も変えられず、おまけに儀仗隊長には遺骨を受けとって祭壇まで運ぶ重大な任務を与えられていたのですから無理な相談でした。
この事件を最も深刻に受け止めたのは三木首相の警護と国民葬会場の警備に当たっていた警視庁で、三木首相を遠巻きに警護していたもの歩いていく方向ばかりに気を取られて背後から追い抜くように接近した犯人には注意を払わず、服装が他の出席者と同じモーニングの礼装で髪も整えられ、容姿や態度にも風格があったため首相に伝言する関係者と思い込んで簡単に接近させてしまったのです。しかし、刃物をモーニングの中に隠し持っていれば暗殺も可能だったのは間違いなく警察内では大問題になりました。
それまで日本では政治家が「物々しい警護は臆病な印象を与える」と嫌ったため新聞の写真やテレビに映らない遠巻きに警護していましたが、昭和49(1974)年11月18日に現職のアメリカ大統領としては初来日したジェラルド・ルドルフ・フォード大統領の警護要員(SS)が常に周囲に付き添って身を盾にしていた方式を採用して3ヶ月後には要人警護専任要員(SP)が設立されました。
犯人の犯行動機は三木内閣が核兵器拡散条約を批准したことへの反発と言われています。また大日本愛国党の総裁は佐藤栄作首相とは懇意で国民葬にも出席していましたが、敗戦後の最長在任期間を務めた佐藤首相を国葬ではなく国民葬としたことに憤っていたそうなのであえて暗殺ではなく殴打にさせたのかも知れません。ただし、過去に国葬になった首相は明治初期の元勲と呼ばれた伊藤博文首相(山口)、山県有朋首相(山口)、松方正義首相(鹿児島)と敗戦後の吉田茂首相(高知)だけで国民葬は大隈重信首相(佐賀)と佐藤栄作首相(山口)の2人です。一方、三木首相夫人も総裁と懇意にしていて国民葬終了後に会場で呼び止めて直接抗議したそうです。
一部の言論人は「右翼は三木首相が自民党内では傍流で最大派閥の田中派を潰すことに躍起になっていることを敵視している」と自民党と右翼が一体化しているかのように解説していましたが、実際は日中国交樹立を急ぐ余り台湾を売った田中角栄首相を嫌悪している右翼の方が多く、必ずしも三木首相を敵視していた訳ではないようです。
  1. 2022/06/15(水) 14:10:34|
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