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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月18日・ノルウェーの探検家・アムンゼンの命日

1928年の明日6月18日にバイキングの国・ノルウェーが量産している探検家たちの中でも一番星のロアール・アムンゼンさんが飛行船で北極海を横断中に消息を絶ったイタリアの探検隊を飛行艇で捜索中に二重遭難して行方不明になりました。
アムンゼンさんは1872年にノルウェー南東部のボルグで海運業を営む家庭の4男として生れました。1888年にノルウェーの探検家・フィリチョフ・ナンセンさんがグリーランドの横断に成功したことに感動して後に続くことを決意しましたが、母親にとっては家業を継ぐようにしか見えず、強制的に医学校に入学させられました。ところが21歳の時に母親が病没したため医学校を中退して船乗りになると4年後の1897年にはベルギーの探検船の航海士になって実習経験を積むことになり、南極海で氷に閉じ込められて予定外に極地越冬まで体験したのです。
20世紀に入った頃のヨーロッパでは大西洋から太平洋へ出る航路としてアメリカ大陸の最南端のマゼラン海峡よりも地球半周分近い北極海を抜ける北西航路の確立の要望が高まっていて(パナマ運河の開通は1914年)、アムンゼンさんも1903年に借金で47トンの鋼製機帆式漁船のヨーア号を購入して6名の乗員と共に出港しました。
その後、グリーンランドとカナダの間を抜けてパフィン湾、ランカスター海峡、ジェイムスロス海峡、キングウィリアム島とブレーシア半島の間のレイ海峡を航行しましたが、レイ海峡を通過することなくキングウィリアム島で2回越冬し、ここでイヌイットから犬ぞりの取り扱いや獣皮の加工方法などの極地での越冬に関する知識を吸収しました。
1905年の夏に離岸すると1905年8月17日にカナダ領北極諸島を抜けてボーフォート海に到達しましたが間もなく海面の凍結によって航行不能になり、氷上を800キロ歩いてアラスカ州イーグルから「北西航路横断成功」の電報を打ち、3度目の越冬の翌年の夏にベーリング海峡を抜けて太平洋に出ています。
北西航路横断に成功したアムンゼンさんは次の目標を北極点到達に定め、資金を集めてナンセンさんが使ったフラム号を購入しましたが、1909年4月6日にアメリカのロバート・ピアリーさんに先を越されたため独断で目標を南極点に変更して1910年8月にノルウェーを出航しました。この時、イギリスのスコット隊も南極点到達を目指していて両者は先陣争いを展開することになりました。
しかし、極地越冬の経験が非情な成否を分け、アムンゼンさんがイヌイットから習ったアザラシの毛皮を防寒衣にしたのに対してスコット隊は防寒性には優れても汗を吸って凍ってしまう牛皮のコートで、移動手段も犬ぞりに対してエンジン付きのそりや馬車だったためエンジンは故障、馬は餌不足で全滅して人力でそりを引くことになりました。
結局、アムンゼンさんは1911年10月20日に基地から4人の隊員と犬ぞりで出発して1911年12月14日に南極点に到達し、1912年1月25日に1人の犠牲者も出すことなく無事に帰還しましたが、スコット隊の5人は1ヶ月後の1912年1月17日に南極点に到達したものの帰路の3月29日までに全員が死亡しました。
  1. 2022/06/17(金) 15:10:12|
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