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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ160

「実は貴方の持論は陸幕長が指示しているのよ」首都圏の次は福岡県春日基地の西部航空方面隊司令部と熊本県建軍駐屯地の西部方面総監部だ。すると土曜日の移動になったため佳織が同行し、伊丹市の伊藤家の墓所に参ることになっていた。今回の日本での私の行動は佳織に一任しているので利用者の意向を尊重する元プロの梢とはかなり違う。そんな訳で久しぶりに私服の佳織と新幹線の席に並んで座ることになった。ただし、今回は初体験のグリーン車だ。
「ワシの持論と言うと普特機(普通科・特科・機甲科)による正規戦は放棄してゲリラ戦に徹するって指示したのか」隊舎の正面玄関に掲げてある内閣総理代以下の写真で定年退官の申告をした東京大学卒の陸上幕僚長が代わっていないことを知ったが、やはり只者ではない。
「だからウチでもCGSの学生にゲリラ戦の研究させているのよ」「それじゃあウクライナ紛争の戦訓をもっと詳しく語らなければいけなかったな」ウクライナ東部地区ではロシア系住民が侵攻したロシア軍を支援してウクライナ軍はゲリラ戦を維持できなかった。日本では定年退職した日教組や公務員労組の活動家が多数移住している沖縄が危ない。
「ところで曹学の同期の森田敬作2佐って知ってる」「森田敬作って愛媛県出身の軍事研究家だな。アイツがどうした」唐突に思いがけない質問を受けて私は珍しく困惑してしまった。森田曹候生は一般空曹候補学生7期の同期だが同じ班ではなかった。それでも高校卒即入隊の割に軍事知識、中でも日本軍の戦史に詳しく同好の私と話が合ったのだ。
「実は戦時の新隊員教育を通達するための研究を始めたら航空では原案が固まっていたの。貴方から航空教育隊の無能ぶりは聞いていたし、地方協力本部長の時も悪評を耳にしていたから意外に思って調べてみたら第3術科学校警備課程の森田3佐が作定した私案だって判ったの。そうしたら貴方と同期だったのよ。部内なのに定年2佐になったけどやっぱり曹学って凄いのね」佳織=モリヤ将補は今更のように感心してくれたが、我が一般曹候補学生は2006年入隊の32期生で廃止されてしまった。一般曹候補学生は公立高校の普通科に在学しながら運動部に熱中して大学に進学できなかった頭が良い運動馬鹿が基本的な素材で、航空自衛隊では3分の1が部内幹部候補生で任官するほかアメリカ留学組や輸送機のロード・マスター(空中輸送員)、救難隊のメディック(救難員)になって大いに活躍している。
「残念ながら曹学を卒業してからは会ったことがないが、航空の警備を変えたのはアイツだったのか・・・現役中に会って話をしたかったな」私も陸上幕僚監部法務官室の出張では輸送機を愛用していて入間基地や行き先の基地に出入りしていた。するとゲートで対応する警衛隊員が急に気合が入り、目線が鋭くなったのを感じていた。それが同期の仕業と分かっていれば立哨している警衛隊員を抱き締めて頬ずりしてやりたかった(当然、WAF限定)。
「しばらく眠るから話しかけるな」「折角、帰国したんだから故郷の風景を眺めなさいよ」「ウルセーッ」浜松駅を通過して県境のトンネルを抜けたところで私が「現世の三悪道」と憎悪している東三河の風景を見ないように目を閉じるとその理由を知っているはずの佳織が嫌がらせのように声を掛けてきた。私が激怒したのは言うまでもない。
「親父が死んだからどうでも良いんだよ」「お義父さん、亡くなったの」「2019年の8月だったな」私もオランダで訃報を受け取っただけなので佳織には連絡しなかった。佳織が子供を私に任せてCGSに入校することを批判されたのが絶縁する原因だったのだが、実父のノザキ中佐と復縁する前に得た父親だっただけに私以上に思い入れがあるのかも知れない。
「あれは・・・また会うなんて」伊丹市の伊藤家の墓所に参り、墓苑のバケツや柄杓を返していると佳織が駐車場から歩いてきた家族連れを見て絶句して立ちすくんだ。その凍りついた顔を見て私も家族連れを注視した。それは私よりも10歳ほど年長の品の好い老夫婦とその子供や孫と思われる幸せそうな家族だった。
「中学校の担任か」私の推理に佳織は重くうなずいた。私は佳織本人からは詳しく聞いていないが、伊丹のママさんにハワイから帰国して転校した伊丹市立の中学校の担任・古河のアパートで補習授業を受けていて純潔を奪われ、調教のように弄ばれた過去を聞かされている。私はバケツを取りに来た息子と入れ替わるように通路で待っている家族に歩み寄った。
「私は閻魔王庁の検察官だ。お前は間違いなく地獄に堕ちる。それは自分が犯した罪の報いだから因果応報、自業自得と言うものだ」目の前に立った作務衣に威儀細を掛けた坊主を怪訝そうな顔で見ている家族に私は引導ではなく判決を宣告した。
「40年前、ハワイから転校してきた女生徒に担任として何をやったのか思い出しなさい。必要ならこの場で説明しようか」私は青ざめ硬直した古河を妻と息子の嫁が詰問している声を背中で聞きながら歩き去り、墓苑の外で佳織と合流した。
  1. 2022/06/19(日) 15:14:05|
  2. 夜の連続小説9
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