「はじめまして国際刑事裁判所で次席検察官をやっていますモリヤニンジンです」翌日は沖縄県警だった。目的は今回の一連の武力衝突で中国が安全保障理事会の席で日本に対する常任理事国としての懲罰を宣言する理由にした化学兵器使用に至る尖閣諸島・魚釣島への中国漁民の上陸と離島国境警備隊の行動についての実態調査だ。事件後に沖縄県警と第11管区海上保安部の合同調査隊が現場検証で回収した催涙ガス弾の弾頭に残っていた毒ガスの詳細な分析結果については既に化学学校で確認している。
「モリヤ検察官の弁護士時代の活躍はウチでも伝説になっていますよ」本人の執務室で面談した担当者の警視は女性事務官が煎れてきたコーヒーを勧めながら開口一番に皮肉な社交辞令を口にした。私が沖縄県警絡みで弁護活動を実施したのは普天間基地の辺野古移設に抗議するデモ隊が基地の外柵フェンスを押し倒し、不法侵入として逮捕しようとした海兵隊員との揉み合いで活動家が負傷した事件で、デモの主催者が「海兵隊員による暴行」として刑事告発した裁判だった。沖縄県警としては刑事告発された以上、検察側に立っていたが素人でも判るような虚偽・捏造の証拠を不定期参加とは言えプロの自衛官が論証したのだから日本の裁判では滅多にない結果になった。しかし、沖縄のマスコミは「自衛官が法廷に参加するのは司法の軍事裁判化につながる」と事件とは別の批判を繰り返していたと後で梢から聞いた。
「実は私も沖縄県警には色々思い出があるんだよ」皮肉に皮肉を返せば感情的に調査に悪影響がありそうだが、これは過去の沖縄県警の体質に関する不信感なので、払拭するためにあえて口にして現状の説明を求めることにした。
「私が沖縄の航空自衛隊で勤務していた昭和50年代後半に音楽隊のコンサートが豊見城ホールで開催されて私は沖縄県警の機動隊と一緒に会場警備に付いたんだ」「それはご苦労さまでした」「お互いさまです」やはりジャブ的皮肉の応酬になってきた。
「ところがコンサートが始まって機動隊が待機車で弁当を食べ始めたのを見てデモ隊の男女の自家用車が猛スピードで突入してきて、私は通路に立ちはだかって阻止しようとして撥ねられたんだ」「よくぞご無事で」「一応、柔道2段だから車の上を越えて路上に落ちたが無傷だったよ」この合いの手は話の腰を折るために挿入しているらしい。
「すると待機車から出てきた機動隊員は逃走した車両を手配することなく座っている私に向かって『危ないことをするな』と怒鳴りつけたんだ。そこで私が『逃走時に死ねと捨て台詞を吐いたから殺意がある。殺人未遂事案だ』と反論すると警部補が出てきて『自衛隊の行事があるから若い連中は日曜日にも勤務しなければならないんだ。その気持ちを理解してくれ』と言われたんだよ」「それは拙いですね、先ずは『怪我はありませんか』でしょう」これで反応しないならば国際通りの公園の公衆トイレでレイプされた女性を保護して派出所に連れて行った時、応対した若い警察官は私が自衛官と知るとイキナリ「お前が姦ったのか」と疑って手錠を取り出した思い出話もある。それにしてもレイプ犯が上半身裸になって被害者に自分のTシャツを着せ、ワザワザ派出所に連れてくるはずがないだろう。
「あの頃の沖縄県警は幹部警察官の大半が本土からの派遣要員で、沖縄出身の若い機動隊員に本土式の日本軍のような精神教育をしていたんです。若い機動隊員たちは復帰後の学校教育で同じく本土から派遣されている日教組の教員に反日本軍・反米軍・反自衛隊の洗脳教育を受けていましたから内心では強く反発していました」「交通事故でも自衛官が不利になるように判定されて隊員は沖縄県警に怒ってたよ」「それは申し訳ありませんでした」私の回想に警視は唇を歪ませて軽く頭を下げた。兎に角、先輩は赤信号で止まっていて追突されてもブレーキ・ペダルを十分に踏み込まず停止灯が消えていたことが原因にされたのだ。
「現在は沖縄県出身の幹部警察官が主力になって次々に警察大学校へも入校しているので機動隊での精神教育も強烈な効果を発揮しています。郷土を守ろうとする士気は他県の機動隊にも引けは取りません」「朝霞の警察大学校ですか、懐かしいですね」私の返事に警視は陸上自衛隊時代に勤務したのかと推理したようだが、実際は航空自衛隊での体育学校への入校でレンジャー訓練を受けていた警視庁が創設を進めていたSAT要員と親しくなったのだ。
「ところでモリヤ検察官は名城慶文(けいぶん)警視を知っていますか」「ケーブンって少林寺のケーブンかね」「そうです。名城警視は現役時代、モリヤ弁護士の活躍を署員に紹介して昔の友人だと自慢していました」名城慶文は梢の高校の同級生で基地の少林寺拳法部に参加していた。私と梢がつき合い始めたことを知ると全面的に応援してくれたが、私の親の反対で引き裂かれたことで友情も途絶えてしまった。名城が地元の大学の法学部を卒業して沖縄県警に入ったことは知っていたが、私が少林寺拳法部を退部したので噂も耳にしていなかった。
- 2022/06/29(水) 14:54:55|
- 夜の連続小説9
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