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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月1日・省になっても分不相応な三流官庁!環境庁が設立された。

1960年代の高度経済成長で戦前から始まっていた環境汚染が急速に進み,ヘドロの海と光化学スモッグが日本の国土を覆い始めて国民の環境問題に対する危機感が最高潮になっていた昭和46(1971)年の明日7月1日に環境庁が設立されました。
戦前の殖産興業は軍事力の強化を目的にしていたため排水や排煙などは放置し、敗戦後は経済復興を至上命題として戦前以上に環境を傷めつけてきたので工業地帯の排水が流入する河川と近海の水質汚染が急速に進み、さらに工場の排煙と急増した自動車の排気ガスによる大気汚染も加わり、戦前から戦後までは原因不明・地域限定の奇病と見られていた「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市喘息」「第2水俣病」も、昭和31年(1956)年に熊本県の水俣病の原因が有機水銀と正式に認定されて以降、明治末期から富山県神通川流域で発生し始めていたイタイイタイ病がカドミウム、昭和34(1959)年に四日市喘息が大気中の亜硫酸ガス、昭和39(1964)年の新潟県阿賀野川流域の第2水俣病も有機水銀と次々に「4大公害病」として認定されました。
環境庁は高度経済成長を推進した池田隼人内閣が昭和39(1964)年3月27日に設置を閣議決定した公害対策推進連絡会議を前身として佐藤栄作内閣が昭和42(1967)年に公害対策基本法を公布・同日施行して昭和45(1970)年7月31日に内閣に公害対策本部を設置する一方で招集した第64回国会=通称・公害国会に公害対策関連14法案を提出・成立させ、この日に総理府の外局として創立されたのです。
しかし、環境庁は前述の内閣公害対策本部、総理府公害対策室、厚生省の大臣官房国立公園部と環境衛生局公害部、通商産業省公害保安局公害部、経済企画庁国民生活局の一部、林野庁指導部造林保健課の一部を統合した寄せ集めであり、これらは各官公庁に寄せられる公害問題の苦情処理係に過ぎず、環境問題に関する専門知識は苦情に回答する程度に過ぎず、役所としての職務権限も他の官公庁と原因を自覚している企業が抑圧に向けて共同戦線を張ったため問題は眼前に山積していても手が出せない=打つ手がない状態でした。
ところがマスコミは新設の環境庁を「公害対策・環境保護の救世主」と胴上げのように持ち上げて全国各地の苦情と要望を搔き集めると本業は医者の大石武一環境庁長官に押しつけてお手並み拝見を決め込みました。すると大石長官は四日市喘息の原因を四日市のコンビナートの排煙による大気汚染、イタイイタイ病は神岡鉱山の湧水によるカドミウムに汚染された水稲とした判決を受け入れただけでなく、観光客の激増で建設が決定していた自動車道計画を中止させるなど自民党の政治家としては異例の活躍を見せたためマスコミは世直し大明神の如く崇めたか祀ったのです。
しかし、これが国民に環境庁の実力を過大評価、過剰期待させる結果を招き、世界的な環境問題の高まりに迎合して2003年にはさらに関連組織を寄せ集めて組織を膨らして内閣府の監督を受けない環境省に格上げされ、原子力規制庁まで傘下に置きましたが福島第1原発の放射能漏れでは何もできず、その後の地球温暖化問題では気象庁の暴走にアイドル環境大臣自らが追従して三流官庁の実態を広く晒す羽目になっています。
  1. 2022/06/30(木) 13:56:49|
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